普通に「切符を売ったり、運転すること」が、これほど重く、これほど切実だったとは――。悲しみを乗り越えた鉄道マンたちの目には、一様に涙が込みあげた。熱き鉄道魂がたどりついた「鉄道と日本」再生への切り札とは何か。
JR東日本仙台駅長の渡邉英明を乗せた4両編成の仙台行き常磐線下り普通列車は、仙台市内の太子堂駅をおよそ20分遅れて発車した。2011年3月11日午後2時46分。終点の仙台駅まではあと2駅。渡邉は最後尾の4両目の座席に座り、高さ7メートルの高架橋を走る列車の窓から仙台市内の風景を眺めていた。そして列車が太子堂駅を出発した直後、あの東日本大震災が発生したのだ。「ドーン」という巨大な音とともに、強烈な縦揺れが3回襲い、その後も大きな横揺れが長時間続いた。列車に電気を送る架線を張った電化柱がぐにゃぐにゃ揺れている。「もう駄目だ。転覆する」と思った渡邉は「早く収まってくれ」と祈りながら、乗客に向かって「しゃがんで!」と叫んでいた。
「帰宅途中の女子高校生など70人ほどのお客さまがいた車内は女性の泣き叫ぶ声が響き、まさにパニック状態でした」(渡邉)
ようやく揺れは収まったが、巨大な余震が来たら列車が高架から転落する恐れもある。できるだけ早く乗客を外へ降ろさねばならない。渡邉は鞄から取り出したJR東日本の腕章を付けて車掌と運転士のところへ向かった。「仙台駅長です。これから車内のお客さまの救済に当たります。列車から降りてもらいますから、支社に連絡して許可を取ってください」。渡邉は運転士にこう依頼したが、支社との無線連絡は全くつながらない。次に自分の携帯電話から仙台駅に電話して、支社の輸送指令から許可を取るよう依頼したが、これも連絡は来なかった。渡邉はさらに支社の輸送担当課長に直接電話。これがようやくつながり、乗客を降ろす許可が取れた。一つ先の長町駅の駅長らが駆け付けてきた。「高架橋の柱のコンクリートがほとんど剥落して、中の鉄筋が見えています。早くこの高架橋から降りてください」。長町駅長からこう告げられた渡邉は、列車に梯子をかけて乗客を降ろす作業に加わり、太子堂駅まで徒歩で誘導。幸い乗客にけが人は一人もいなかった。
地震の発生からここまで約40分。救済作業を終えた渡邉は、長町駅から約4.5キロ離れた仙台駅に車で向かった。