MITでの学生時代、大前さんはその人生で初めて授業を真面目に受けたという。趣味の音楽を優先し「授業は適当に」を通してきた日本時代とは違うプレッシャー。大前さんの「学び方、考え方」は、ボストンの地で大きく変わろうとしていた。

オッパイTシャツに大笑い

大前さんはMITの日本人同窓会「日本MIT会」のメンバーだ。今年1月には「世界の中の日本—これから望みはあるのか?」と題し、同会で講演も行っている。(写真提供:日本MIT会)

MITに入学してすぐに指導教授に挨拶に行った。原子炉の安全性に関する確率論の専門家であるノーマン・ラムルッセン教授は、私が着ていたTシャツを見ていきなり大笑いした。

Tシャツには母校東工大(Tokyo Institute of Technology)の頭文字「TIT」がプリントされていた。アメリカでは俗語でオッパイのことを「ティッツ(tits)」というのだとそのときに初めて教わった。

「お前の学校はなかなかユーモアがある。そのTシャツ、くれないか」と誰が見たって私のTシャツが入るわけがない大男の教授にせがまれた。指導教授のジョークでリラックスできて、カルチャーショックは3日目で解消した。

当時のMITには私よりも先に入学した日本人が5~6人いた。新入生のクラスでは日本人は私1人。フカイさんという日系ブラジル人が1人いたが、日本語は全く話せなかった。

クラスの半分はアメリカ人で、その他、ヨーロッパ、カナダ、中南米など世界中からやってきていた。原子力が次世代エネルギーの花形として脚光を浴び始めた時代に、世界最先端の原子力工学を食らい尽くそうと集まってくるのだから、相当な俊英揃いである。

スイスからきていたハンス・ヴィドマーは、こっちは単に暗記しているだけのマクスウェルの電磁方程式を完璧に理解していて、そこからベクトル演算をして答えを出すという難題をいとも簡単にやってのけた。「すべての答えは電磁方程式から導き出される」などと超然と言い放つ。アインシュタインが同級生だったらこんな感じだろうかと思った。彼とはその後アパートを一緒に借りて住むことになったが、さらに驚いたのは帰国後日立を経て入社したマッキンゼーにちゃっかり私より早く入社していて、再会したのだ。いまでもこの天才とは家族ぐるみの友人だ。

アメリカ人のフレデリクソンはハンサムで女にモテた。金曜日、土曜日は女の子と遊び放題。しばらく姿が見えないと思ったら、女連れでブラジルにリオのカーニバルを見に行っていたなんてことがよくあった。しかし成績抜群で試験はいつもトップ。いわゆるアメリカ型秀才の典型で、勉強している姿を人前では見せない。先生からも一目置かれていた。

一番仲良かったのはビル・コーコランといういかつい海軍将校である。すでに30代半ばで美貌の奥さんと子供がいて、ニューイングランドの森の中の高級住宅に住んでいた。「メシ食いに来い」とよく誘ってくれたが、奨学金で食いつないでいる貧乏学生には涎ダラダラの生活ぶりだった。やはり将校上がりはすごい!と思ったものだ。