答は合っていた。だが、博士課程試験は落とされた。試験に2回落ちた者は、MITを去らねばならない。そうなれば生きて日本に帰ることはできない。落第の理由を知った大前青年は「思考のピッチングフォーム改造」を決意する。
「お前が一番危険な人間だ」
入学から1年が経って、ドクターの試験を受けた。MITでの勉強に手応えを感じていたし、「これならいける」という自信もあった。
普通は2年くらいしてから受けるのだが、私は日本で修士号も取っていたし、ドクターを取りにMITまで来たので早いほうが良い、と思って受験してしまったのだ。試験問題は今、振り返っても良問だったと思う。月に原子炉を作るという設定で、
(1)十分な引力が得られない状況で制御棒(原子炉内の中性子の量を調整し、出力をコントロールするための装置。中性子を吸収しやすいホウ素やカドミウムが制御材に使われる)が機能するのかどうかを論じ、設計上の問題があれば指摘せよ。
(2)その制御棒を原子炉に入れた場合、中性子を吸収した制御棒の温度は何度上がるのか、計算せよ。
日本ではまずお目にかかったことがない設問だ。日本の試験に慣れている私は(1)は適当な理屈を考えて埋めて、(2)の計算問題のほうを一所懸命に考えた。あとで同じ試験を受けたクラスメートと答えあわせをすると、どうやら私が答えに書き込んだ「2.3度」が正解だろうという結論に達した。だとしたら、私以外全員が間違っていることになる。
ところが答えが間違っていたクラスメートに合格者がいたのに、私は不合格だった。メチャクチャ頭にきて「なぜオレが落ちたんだ?」と抗議に行くと、エドワード・メイソン先生からピシャリと言われた。
「お前が一番危険な人間だからだ」
原子炉設計に「結果的に答えが合っている」は通用しない。なぜその答えになるのかという道筋を説明できなければいけない。道筋さえ正しければ、あとの計算は代わりの者だってできる。MITでは論理を構築できるかどうかが問われるのだ——そんな説明を受けた。
「お前たちは将来、原子炉の指導者になる。ならば、考え方をきちんと書かないで答だけ合っているような危ない人間を卒業させるわけにはいかない」
東の果ての島国からやってきて、何としても答えを出すことに必死だった日本人留学生は、ぐうの音も出なかった。これぞ本当の日米の違いだと思い知った。