休憩時間に人気なのは差し入れではなく…

西がカウンターに寄りかかって見本作りに時間を取られている様子を見て、京味の番頭のみっちゃん(笠井光夫)がみんなに声をかけた。

海老料理の小皿
撮影=牧田健太郎

「さあ、手の空いた者から食事にするぞ」

おせちを作っている間、西と弟子たちも差し入れを食べる。まかないを作る時間も手間も調理する場所もないからだ。

1階には客からの差し入れがうずたかく積まれていた。おにぎり、サンドウィッチ、ラザニア、ビーフカレー、中華の春巻き、鶏の唐揚げ、チャーハン、焼きそば……。いずれも一流店の料理ばかりだ。だが、手を伸ばす者は多くない。連日の不眠と寒さと疲労が重なって食欲を感じなくなっているようだった。なかには食事よりも、壁に寄りかかって仮眠を取っている者もいた。

結局、その日の夕食で従業員たちにいちばん人気だったのは段ボール箱に入った栄養ドリンクだ。食事代わりにユンケルを飲み、束の間の休息を取っていた。

京味のおせち作りを支えていたのは防寒のためのダウンパーカと栄養ドリンク、そして、料理人たちの責任感だった。

「おせちの仕込みは毎年、戦いです」

西が見本を作っている間、4つある調理場では料理の仕上げが続いていた。「味つけが薄い」と判断された料理はもう一度、火にかけられることもあるし、詰める寸前に完成させなくてはいけない料理もある。それぞれの料理人は持ち場で奮闘を続けていた。

メインの調理場である1階で、河豚の白子、さわらの味噌漬けを焼いていたのは新橋にある割烹「笹田」主人の笹田秀信だった。京味での修業を終え、独立しているのだが、年末には必ず手伝いに来る。西が冗談を飛ばしても、疲れ切っているのか、笹田はまったく笑わない。焼き網の上の白子を見つめるばかりである。

2階の調理場では従業員のひとり、郡司智裕(現・味ひろ主人)が鰻の八幡巻きにたれをつけて焼いていた。郡司は京味に入って13年目。そばへ行くと、彼の全身からは醤油と味醂のにおいが漂ってきた。

「ええ、もう3日間も魚を焼いてます。風呂に入っても、体から醤油と魚の脂のにおいが抜けません」

きのこ
撮影=牧田健太郎

2階の調理場の奥には客用の和室がある。そこでは普段は事務の仕事をしている小林みどりが料理を詰める重箱、200セットを準備していた。西が作った見本ができあがると、和室には女性陣が集まってきて、重箱と料理を置く。流れ作業で中身を詰めていき、最後の飾りつけをし、おせちを包んでいく。みどりはわたしを見つけると、「勝たねばなりません」と宣言した。

「おせちの仕込みは毎年、戦いです。私たちは総動員態勢で戦い抜きます。死んでもおせちは全部作ります」