※本稿は、野地秩嘉『京味物語』(光文社)の一部を再編集したものです。
あのジョン・レノンも通った最高峰の店
東京、新橋の路地にあった京味。
「日本料理の最高峰」
そう考えていたのはわたしだけではない。名だたる食通は誰もがうなずくだろう。京味の店内には常連の名前を記した赤い提灯が下げてあった。いずれも食事に関して一家言を持ち、マナーもよく、外食ジャーナリズムを仕事としていない人たちだった。本当の食通で、かつ、主人の西健一郎が「この人なら」と認めた人でもある。京味が日本料理の最高峰だったのは、来ていた人たちの力が大きい。
主人、西健一郎はミシュランのグルメブックへの掲載をあっさりと断り、メディアへ出ることを控えた。若い頃は別として、料理番組には出ていない。料理の本も数冊はあるけれど、自分から進んで「本を作りたい」とは言わなかった。
京味と比較できる日本料理店があったとすれば、それは湯木貞一が存命だった頃の吉兆、高麗橋店くらいだろう。実際、湯木は京味に来て、「うちの店をやってみるか」と聞いたこともあった。
京味には国内に限らず、世界各国から客がやってきた。皇族、裏千家家元を始めとする国内の有名人、文化人が食事をしにきた。外国人でもジョン・レノンを筆頭に著名な人たちがやってきた。
しかし、西の態度は変わらなかった。ジョン・レノンの場合は西が本人を知らなかったから、部下に「あのメガネのきたない格好の外国人はなんだ?」と訊ね、次いで、「食べ方がきれいだな。そうでなかったら、追い出してる」と言い放った。
他人の評価にはつねに恬淡としていた
西は誉められたからといって簡単に喜ぶ男ではなかった。他人の評価にはつねに恬淡としていた。「そうですか」ときわめて素っ気ない。こう続けるだけだった。
「みなさんの口に合う料理かどうか知りませんけど、でも、また来てくださると、それはとってもありがたいですわ」
京味がなくなった今、かつての味を思い出そうとするのならば、独立した弟子たちの店へ行くほかはない。
そこへ行けば西が鍛えた弟子たちが京味の料理を再現している。弟子たちの店はいずれも評判がよく、予約が取りにくい人気店になっている。