顧客が昇進した、あるいは叙勲があったなど、お祝いの席に赤飯や弁当を届ける料理人はいる。しかし、顧客が不幸に遭い、力を落としている時、また、明日のことなどどうでもいいと考えてしまう苦しい時期に、そっと弁当を届ける料理人は西健一郎の他にいるだろうか。

日本に何万人の料理人がいるかどうかは知らない。しかし、客がつらい状況にいる時に、声をかけるのではなく、弁当を届けに来る料理人は決して多くはない。

「食べませんか」と呼ばれ店に行くと…

ふたつ目のエピソードはアートディレクターの長友啓典さんが亡くなった時のことだ。長友さんは西健一郎が新橋に店を開いてからの親友で、包装紙や名刺のデザインを頼まれていた。そして、長友さんもわたしをよく京味に連れていってくれた。

野地秩嘉『京味物語』(光文社)
野地秩嘉『京味物語』(光文社)

亡くなった後、西から「ご飯を食べませんか」と電話があり、京味の2階にある座敷に出かけていった。座敷に入ったら、長友さんの写真があり、その前に海苔巻きが供えてあった。

「『青辰』にはかなわんけれど、僕でも普通以上においしい巻き寿司は作れる」

西さんはそう言いながら、巻き寿司をすすめた。

「青辰」とはかつて神戸にあった穴子寿司の店で、西健一郎が「あれほどおいしい寿司は食べたことがない」と評する店だ。

海苔巻きは玉子、三つ葉、干瓢、高野豆腐が具になっていた。

食事をつきあってくれた西の次女、麻里子とわたしはまるで、長友さんがそこにいるかのように、写真に話しかけながら、巻き寿司を食べた。1階で仕事をしていたので、時々、顔を出しては「長友先生はおもろい人だった」と話をして、また、調理場へ戻っていった。

顧客が亡くなったと聞いて、座敷を押さえて、わざわざ好物を作る。それも西らしいと思う。

お客を叱る一本気な姿勢

3つ目は西健一郎という人の一本気な姿勢を表すものだ。この話は長友さんから聞いた。

「野地くん、こんな話、知ってる?」

――西さん、おもろいねん。どっかの社長が接待で京味を使って、「今日はこんな店にわざわざおいでいただいて」と相手に言ったらしいんよ。西さん、カウンターのなかで聞いていたらしくて、こう言ったそうや。

「社長、こんな店とはどういう意味ですか? あなたはうちの店がおいしいと思ったから、お客さんを連れてきたんじゃないですか? それなのに、こんな店とはどういうことですか?」

社長さんは面食らって、困った顔をしていたらしいけれど、でも、西さんらしいと思わへん?

妻のことを「愚妻」と呼んだり、息子を「愚息」と言うのと、同じ感覚で、その社長は京味を「こんな店」と表現して紹介したのだろうが、一本気な西さんにとっては憤慨するべき事案だったのである。

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