わたしは麻布十番にあった「京津田」(今はない)、「笹田」「井雪」「くろぎ」「星野」「味ひろ」「味享みたか」「御成門はる」と食べに行った。

弟子の店は京味の料理のすべてを受け継いでいるわけではない。けれど、西の味の香りをかぐことはできる。

弟子が師匠を抜いた瞬間

西が亡くなった直後、井雪で食事をしたことがある。それまでにも井雪では何度となく食事をしたけれど、京味で出していたものをそのまま出すことはしていなかった。主人の上田真寛には彼なりの考えがあったのだろう。

京味の主人、西健一郎氏(故人)。店は2019年に閉店した
京味の主人、西健一郎氏(故人)。店は2019年に閉店した(撮影=牧田健太郎)

京味の代表的な料理、芽芋の吉野煮や、うすい豆煮などが出てくることはあっても、違うものに仕立てていた。いずれも上田の料理だったのである。ところが、その日、出てきた雲丹を載せた賀茂茄子の田楽は西健一郎が作っていたものとまったく同じ味で、しかも、わたしには京味よりもおいしく感じた。雲丹、茄子、味つけの味噌のバランスが絶妙だった。弟子が師匠を抜いた瞬間にでくわした。

ああ、そうなんだと思った。優秀な弟子は師匠の味をそのまま作ることはできる。しかし、師匠が作っているものとまったく同じにはしないのだ。もしくは自分の店では出さない。師匠がなくなって初めて、師匠の味をそのまま受け継ぐ。

企業でも創業者の親がいる二代目は「物足りない」「父親には及ばない」と言われる。しかし、それは仕方のないことだ。では、どうすればいいのか。井雪の上田がやったことを頭に置いて考えると、次のようになる。

親が生きている間はなるべく違うことをやる。親が完全に引退する、もしくは亡くなったら、二代目は親がやっていたことをそのままやれるし、それ以上のこともできる。井雪で雲丹茄子を食べて、とても勉強になった。

西が説いたのは3つだけ

さて、今や日本料理の世界では京味の出身者がメインストリームに躍り出ている。わずかな期間しか修業していなくとも、「京味にいた」と噂が広まれば、すぐに満席になってしまう。

京味
撮影=牧田健太郎

彼らを育てた西健一郎がつねづね語っていたことは3つ。

「季節の素材が料理を教えてくれる」
「おいしいもんと珍しいもんは違う」
「料理人は一生、勉強だ」