東京・新橋にあった「京味」は、常連客向けに正月のおせち料理を作っていた。仕込みは1週間におよび、真冬でも暖房をつけずに不眠不休で作業に明け暮れたという。ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが見た、おせち作りの現場とは――。

※本稿は、野地秩嘉『京味物語』(光文社)の一部を再編集したものです。

煮物
撮影=牧田健太郎

約1000食分を作る店の一大イベント

京味では2015年の暮れまでは顧客を対象に正月のおせち料理を作っていた。年末の営業を早めに切り上げ、大みそかの深夜まで、西健一郎(主人)以下が総出でおせち作りに精を出した。京味の一大イベントがおせちの支度だったのである。

だが、それも暖簾を下ろす3年前からやめた。家族と弟子が西の体を心配して、やめさせたのである。

2011年、大震災の年の暮れ、4日間、店に通っておせち作りの現場を見た。思い出すと、寒かった。特別に寒い年末だったこともあるけれど……。

おせち作りの間は凍える日が続いた。当時の天気概況は次のようなものである。

「日本付近は冬型の気圧配置で、北日本は雪と風で大荒れ。都心は晴れてはいるが気温は低く、年末はもっとも寒い……」

2011年12月30日、午後9時、大みそかの前夜のことだ。

その日のその時間ともなると、都心で働いている人間は少なかった。新橋の路地裏に人通りはなくなり、こうこうと明かりがついているのは近隣では京味ただ一軒である。

店内では西健一郎をはじめ、従業員や手伝いの料理人、合わせて30名がおせち料理の仕上げに入っていた。

京味は毎年、12月24日までしか店を開けない。クリスマスイヴの夜から通常営業は休みにして、全員でおせち作りにとりかかる。顧客向けにおせちを200組以上は用意しなくてはならない。一組のおせちを5人前と換算すると、1000食の料理を仕上げることになる。

真冬に暖房なしで1週間働きづめ

仕入れる材料だけでも大変なものだ。

牛蒡ごぼう、筍はそれぞれ500本以上、慈姑くわいは1000個、海老、あわびはも河豚ふぐの白子といった材料もそれに準ずる量を仕入れなくてはならない。材料を置く場所を確保するだけでもひと苦労で、しかも、買ってきた材料をそのまま重箱に詰めるわけではない。膨大な量を調理するわけだから、どうしても時間がかかってしまう。

おせち作りを勉強するため、あるいは手伝いに来る人数は日によって異なるが、大勢がやってくる。それでも全員が1週間、休まず働いて、やっと正月の食卓に間に合わせることができるのだった。

カウンター
撮影=牧田健太郎

おせちを作っている間は表玄関、裏口の戸、そしてあらゆる窓を開け放って、戸外の冷気を入れる。地下から地上3階まで4つある調理場の火口を全開にすると、室温が上がり、できあがった料理が傷んでしまう。西は冷気を引き込んで、室内を冷蔵庫の庫内温度程度まで下げて仕事を進めていく。そうやって料理が傷むのを防ぐのである。

世の中におせち料理を作る店はいくらもあるが、1週間の間、暖房を絶対に入れないのは京味くらいのものだ。