西は納得していない様子だったが、それでも、読み上げられた料理を片っ端から口に入れた。
「このなかでは帆立かな。帆立を入れようか」とは呟いてみるものの、決めかねている。また、手が止まった。室内の空気は重くなり、誰も声を出さない。意見を言うような雰囲気ではなかった。
最後に重箱を前後に揺らして…
すると……。
「うん、こうすればいい」と呟いた西が重箱のなかに空間をつくると車海老の雲丹煮を入れた。丁寧に入れて、そして重箱を前後に揺り動かした。揺らしても、なかに入れた料理は微動だにしなかった。
「これでいい。よし、できあがり。さあ、仕事だ」
そう独り言のように言うと、「始め」の合図のように手をパンと鳴らした。
おお、と言って、全員がいっせいに立ち上がった。
そして、仕事が始まった。見本と同じものがすぐにふたつできあがり、それは他の階に運ばれていった。そうして1階でも2階でも重箱に中身を詰める作業が始まったのである。
ただし、見本を見て同じように詰めたらそれで終わりというわけではない。2階の一角にチェックポイントというか関所を設け、次女の麻里子がひとつひとつ詰め具合を検品する。麻里子は関所の番人である。チェックが厳しいから、料理人たちは戦々恐々だ。
麻里子がOKと言ったおせちは完成品として風呂敷に包まれるが、詰め方がきちんとしていないものは、もう一度、担当者に戻される。おせちはどれひとつとっても同じようにできあがっていなくてはならないからである。
「やらない方が楽かもしれん。でも、やめられませんわ」
西はカウンターの前に座り、ひと息いれた。
「つらい仕事ですわ。やらない方が楽かもしれん。でも、やめられませんわ。うちのおせちで正月を迎えたいとおっしゃってくださるお客さまにこたえたい。それに、若い人たちにはいい経験になる。今どきこんな思いをしておせちを作る店は少ないでしょう。大変だけど、やめないのは若い人たちのためなんです。うちに修業に来る人たちがいつかおせちを作る日が来る。大量の弁当の注文にこたえる日が来る。その時に、京味ではこうやっていたなと思い出してもらえればそれでいい。だから、私はやめない」
京味のおせちが他の店のそれと違っているのは、料理のできあがりだけではない。
西の仕事は他の店とはまったく違う。たとえば、彼は部屋を寒くして仕事をする。料理人に我慢を強いているのではなく、おせち作りは寒いなかでやることだと後輩たちに教えている。