もっともつらい「白子のぬめり取り」
また、そこには顧客から預かったさまざまな形の重箱が並べてあった。京味ではいまでも客が持ち込んだ先祖代々の重箱に料理を詰めるサービスをしている。
ひとつひとつ大きさが異なるわけだから、詰めるのは難しい。担当はいちばん古くから働いている、みっちゃんだ。寒さと不眠と孤独のおせち作りである。
3階は事務室だ。そこでは女性陣が仕込みの細かい作業や重箱の包装紙などを揃えていた。
地下は焼き物、煮物の調理場である。窓がないため熱がこもるから他の階よりは少しは暖かい。わたしは「しめしめ」と地下で暖を取っていたのだが、1階からふと下りてきた西が「ここはちょっとあったかいな」と呟いた後、大声で、「冷房をかけろ」と指示して戻っていった。地下はたちまちシベリアのようになり、わたしはまた少しでも暖かいところを求めてそこから出た。
さて、おせちの仕込みはさまざまあるが、そのなかで従業員たちがもっともつらいと感じている仕事は何か?
ガスの前で魚を焼くことか。それとも野菜の仕込みをすることか。だが、訊ねてみたところ、まったく想像もしていなかった答えが返ってきた。
ほぼ全員が声を揃えて、「あれは嫌だ」と言ったのは、河豚の白子のぬめりを取ることだったのである。ぬめりを取るには塩と冷たい流水を使う。寒いさなかに冷たい水を流しっぱなしにして、ひとつひとつ素手で白子を洗う。これは確かにつらい。
京味を巣立った料理人たちの同窓会でもある
ひとりがぽつりと答えた。
「いえ、ひとつやふたつならいいんです。冷たい白子を1000個も塩でもんでいたら、指がかじかむし、感覚がなくなる。間違いなくあかぎれになります」
その晩、白子と格闘していたのは、東銀座の料理店「井雪」主人、上田真寛と弟子たちだった。上田は白子をもみ、カウンターにいた西が誰にともなく指示を飛ばすと、弟子に向かって「おい、つらいことはオレたちがやるぞ。いちばんつらい仕事は井雪がやるんだ。いいな」と命令する。
弟子は「はいっ」と答えて段ボール箱を運んだり、椅子やテーブルを動かしたりする。しかし動きは鈍い。寝不足で、うつらうつらしながら手と足を動かしている状態だ。上田の手は真っ赤にはれ上がっていたけれど、それでも丁寧に白子のぬめりを取っていた。
笹田、上田に限らず、京味で修業し、卒業していった料理人たちは、年末になると勉強のためにおせち作りを手伝いに来る。芝公園の料理店「くろぎ」の黒木純も来る。料理を教えてくれた西への恩返しであり、1年に一度の同窓会でもあるのだろう。ただし、同窓会とはいっても郷愁にひたっている時間はない。調理場で肩を寄せ合いながら、目の前の仕事を片付けていくだけだ。