毎年変わらない料理になぜこだわるのか
午後10時を過ぎた。カウンター前で、おせちの見本を詰めていた西の手が止まった。菜箸を置くと、手を上に挙げて体を伸ばし、次は高下駄を履いたまま、片足ずつ、足をぶらんぶらんと振りはじめた。彼は74歳(当時)である。30歳で京味を開いてから、年末になると徹夜を重ねて、おせちを作ってきた。だが、もう彼も若くはない。体は疲れている。
そばで仕事を続けていた上田が「大将、少しでも寝てください。あとはできる限り、私らでやります」と気遣う。
手を止めて、カウンターに寄りかかっていた西はその声に頭を上げて、言い返した。
「アホな。休めるかい。もうちょっとだけや。体を動かして体操したら、眠気なんかふっ飛んでいくわ」
気が強いうえに頑固なのである。部下が働いている間、自分だけが休むなんてことは頭の片隅にもない。長年、先頭に立って働いてきたから、その習慣は変えようがない。
彼が手を止めたのは、疲れだけではなかった。重箱のなかの料理の詰め方がいまひとつ気に入らないのである。料理の出来ではない。おせち料理の詰め方がピンとこなかったので、考えこんだのである。
「おせちは詰めるのが難しい。材料は毎年、それほど変わらないのだから、去年と同じようにやればいいと家族や従業員からは言われるんです。けれど、そうはいかん。去年よりもいいものにしたい。毎年、それで悩んでいるうちに、詰めるのが進まなくなる」
「こう、重箱を開けたらぐっとくるようなものを」
実際、彼はそれから約1時間、作業を止めた。味見をしたり、部下の意見を聞いたり、一度、詰めたものを取り出したり……。従業員たちは気が気でなかった。とにかく見本ができないと、詰める時間がなくなってしまう。翌日の大みそかの午前中には受け取りに来る客がやってくるのだ。
すると……。
やっと西が動いた。「よし」と呟いた彼は、重箱からぐじの味噌漬けを取り出し、「これはやめ。これは今年のおせちに入れない」と言った。つまり、京味では決められた数以上の材料を仕入れている。調理してみて、西がこれは入れたくないと決めた品物は外してしまうのだ。客向けのおせちに入れなかったものは自分たちで食べる。
西はカウンターのなかにいた橋本尚史に声をかけた。
「橋本くん、あとひとつだけ足らないんや。あとひとつだけ決めたらできあがる。なんかこう、重箱を開けたお客さんが、ぐっとくるようなものは残ってないか。そこにあるものもういっぺん言ってみてくれ」
橋本はまだ詰めていないもので、数が揃っている料理を読み上げていく。
「車海老雲丹煮、帆立貝旨煮、銀鱈味噌漬け……」