筍、山菜、鮎、鱧、松茸、栗、松葉蟹などの食材は季節の味だ。価格の高い「はしり」よりも、西は「さかり」の素材を使う。目の前の材料を見て、考えて、料理をする。キャビア、フォアグラ、トリュフを使うことはない。だが、鯛の子、魚の星(鰺の心臓)、松露は使う。

前者は高級な珍しいものだ。一方、後者は料理をするのに手間がかかるけれど、ちゃんと仕込みをすればおいしく食べられる素材だ。

20数年間、わたしは西健一郎の料理を食べてきた。西の料理は「京料理」の範疇に入る。だが、出てくる料理は京都の素材を使って彼が独創したもの、そして、西の父親、音松の料理だ。

高級日本料理店で出しているのは高級素材だ。だが、西の料理は誰もが買うことのできる普通の値段の素材を知識と技術でおいしくしたものだ。誰だって、京味の料理を食べれば感動しただろう。

料理以上に感動したその人柄

わたし自身は料理よりも、西健一郎の人柄に触れて感動したことの方が多かった。

京味
撮影=牧田健太郎

ひとつめは市川海老蔵丈の夫人、小林麻央さんが亡くなった翌日のことだった。代官山にある実家で密葬が営まれたのだが、西健一郎は杖を突き、タクシーに乗ってやってきた。手を合わせてお別れをした後、「早いなあ、早い」と呟いた。そして、「みなさんでどうぞ」と塗りの重箱に入れた手製の弁当を置いていった。

市川家は京味の顧客であり、西は家族全員をよく知っていた。それで、弔いにやってきたのである。

西が帰った後、その弁当の中身を見た。申しわけないと思ったけれど、あまりにも美しく、おいしそうに感じられたので、ずうずうしいとは思ったけれど、ついつい手を出してしまった。盗み食いしたわけではない。市川家の季実子夫人からすすめられたから食べたのである。

不幸の時こそ弁当を携えて駆けつける

海苔で巻いたおにぎりと玉子焼きを口に入れ、味わっているうちに泣けてきた。麻央さんが亡くなって、市川家は悲しみに包まれていた。そのうちに、西健一郎がおにぎりを握る姿が浮かんできた。

京味
撮影=牧田健太郎

病院に入るまで、彼は休みの日以外、毎日、京味のカウンターに立っていた。だが、長年、続けてきた仕事で、心臓とひざがよくなかった。ひざの手術を二度、心臓の手術を二度やっている。晩年は満身創痍という感じだったが、それでも料理には熱中していた。

そういう身体であっても、長年の顧客に不幸があったと聞けば、手製の弁当を作り、自ら携えていくのである。