東京オリンピック・パラリンピックでは、さまざまなマイナースポーツに脚光が当たった。しかし、大会後の報道はピタッと止まってしまった。神戸親和女子大学の平尾剛教授は「日本のスポーツ報道はメダルや勝利に固執している。それはスポーツをつまらなくするばかりか、過度な勝利至上主義を視聴者に植えつける恐れがある」という――。
スタジアムでのサッカーの試合に関するスポーツジャーナリストのコメント
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大谷翔平の活躍とオリンピックの報道の違い

球団公式サイトには身長6.4フィート、体重210ポンドとある。約195cm、約95kgだ。いや、あの体格はどう見ても95kgではない。おそらくこれは入団したころの体重で、いまは100kgを優に超えているように見える。国際規格のラグビー選手にも比肩するそのからだは、手脚が長く、顔も小さい。まるで映画や漫画の世界で描かれるヒーローのようなフォルムである。

誰のことかはすでにお察しだろう。そう、エンゼルスの大谷翔平選手である。

まるでフィクションの世界から抜け出てきたかのような大谷選手は、打者と投手の「二刀流」に挑んでいる。次々とホームランを量産し、160km/時を超えるストレートを投げ込む。それだけでも驚きなのに俊足で盗塁までするのだから、規格外にもほどがある。

この夏、出勤途中の車のなかで大谷選手の活躍をよく見聞きした。信号待ちで停車するや否やテレビ画面を見ると、ホームランを打つ瞬間のフォームに釘付けになった。複雑な軌跡を描く変化球をいとも簡単に打ち返す。その打球はまるでピンポン球のように軽々とスタンドまで飛んでゆく。常人離れした巨躯が気持ちよさそうにバットを振る姿が爽快で、そのしなやかな動きにはつい目が奪われてしまう。

ご存じの通り、今夏は東京オリンピック・パラリンピックが開催されていた。7月23日に開催したとたんに各メディアではオリンピック関連の話題で持ちきりとなった。ニュース番組内のスポーツコーナー、あるいはバラエティ番組内でも取り上げられ、開催期間中のメディアジャックはすさまじいものがあった。

日本人選手の活躍に歓喜するキャスターの、いささか感情的に過ぎる声色がとかく耳についた。番組内で紹介される試合の一部を切り取った映像からは、歓喜を隠そうともしない実況の甲高い声が耳に障り、勝利が決まった瞬間の絶叫には、思わず耳を塞ぎたくなった。

実況の役割は試合の進行を伝えることで、その成り行きを努めて冷静に語るのが常だったはずだ。にもかかわらずこれほどの身贔屓と、それにともなう感情の表出が露わになったのはいつからなのだろう。

オリンピック関連の報道は実にやかましかった。大谷選手の活躍を伝えるニュースと比べればそれは顕著で、オリンピック反対論者として心穏やかに観られないというバイアスを差し引いたとしても、このやかましさは度を越している。

この違いはどこにあるのか。それは表出される「感情の違い」にある。