勝敗を競う中で偶発的に生まれたストーリー
もちろん勝敗以外にスポットライトを当てた報道もあるにはある。
たとえば東京オリンピックだと、陸上男子走り高跳びの決勝でムタズエサ・ダルシム選手(カタール)とジャンマルコ・タンベリ選手(イタリア)が金メダルを分け合ったと報じられた。両選手は決着するまで競技を続ける、いわば延長戦の「ジャンプオフ」を断り、大会側と協議してメダルを分け合うことにした。陸上競技の選手が金メダルを分け合ったのは、1912年のストックホルム大会以来109年ぶりだという。
また新種目のスケートボードのパーク女子決勝では、着地に失敗して涙を見せる岡本碧優選手に、ライバル選手たちが素早く駆け寄り、抱擁した。担ぎ上げられた岡本選手の写真がSNSを中心に話題になったから知っている人も多いはずだ。
さらに男子マラソンでは、ゴール直前にナゲーエ選手(イタリア)が後ろを走るアブディ選手(ベルギー)を何度も振り返り、「ついて来い」と励ましのジェスチャーを繰り返した。ともにソマリア難民のふたりは互いに鼓舞しながらそのままゴールし、それぞれ銀メダルと銅メダルを獲得した。
これらは勝敗を競い合うなかで偶発的にでくわした場面にスポットライトを当てた報道だ。各選手は、メダルを競い合うライバルにもかかわらず相手を慮った行動に出た。叩きのめさないといけない相手につい感情移入してしまった彼らの心には、ともに勝利を目指す者同士としての「共感」が芽生えたのだ。
悔しさと感心が芽生えた宿敵との対戦
敵対するものへの共感という、曰く表現し難いこの不思議な感情は私にも経験がある。
現役時代のある時期、全国優勝を目指すうえでサントリーサンゴリアスはどうしても勝たなければならない憎き相手だった。練習でも、常に彼らを敵と見立てて取り組んでいた。引退してからしばらくたってもそのジャージを見るだけで闘争心が湧くほどに、この敵視は身に沁み込んでいた。
これほど激しく敵対していたにもかかわらず、いざ試合が始まると違った。いまだから言えることだが、目の前で繰り広げられる卓越したプレーにはたとえ試合中であってもつい拍手を送りたくなるのだ。
トライを奪われたとき、腹の底から悔しさが湧き上がるのと同時に、それに至る一連のプレーに感心している自分がいた。相手を感嘆する気持ちは心にスキを生む。だから慌てて打ち消して、その後のプレーに備えるわけだが、二律背反するこの感情はいまでもはっきり憶えている。