「自分は正しい。お前は間違っている」は実りのある議論にならない

欧米には、古代ギリシャの時代に民主主義のツールとして生まれた弁論学・修辞学を源流とする説得術を学んだ政治家が数多くいる。コミュニケーションをサイエンスととらえ、心理学・脳科学・人類学などアカデミックの観点から「いかにして人の心を動かすか」が科学され、解が示されている。

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一方、日本では、コミュニケーションは伝承や職人芸の範疇にあり、教科書も教わる場もないままに、誰もがやみくもに正解のないまま自己流でごまかしている。

政治家のコミュニケーションもご多聞に漏れず、時代遅れで、自己満足。グローバルのスタンダードとはかけ離れた常識に縛られ、アップデートできていない。例えば、「説得」の技法。まず、大前提として、相手の行動を変え、何らかの成果を生み出そうとするのであれば、怒りに任せて攻撃する道は決して選んではいけない。

そもそも、コミュニケーション学において、「自分は正しい。お前は間違っている」という主張は全くもって実りのある議論には結びつかない。「相手の間違いを指摘し、自分の正当性を証明できれば、相手はその非を認め、自分の言うことを聞いてくれるはずだ」。上司と部下、親子のコミュニケーションなどにおいても、こうした幻想を持つ人は非常に多い。

一方的に相手を批判することでかえって相手の気持ちを逆なでし、頑なにするだけであることがほとんどだ。にもかかわらず、人は「論破したい」という気持ちに駆り立てられ、相手の非をあげつらうことに血道を上げてしまいがちだ。

感情に任せた「シャウト型」「自己主張型」は効力が薄い

しかし、人の心を動かそうとするのであれば、感情に任せた「シャウト型」「自己主張型」は効力が薄い。筆者は、堂々と自分の意見を言えない自分を変えたい、と通ったハーバードロースクールの「ネゴシエーションプログラム」で、このことをさんざん教えられた。

例えば、「人質解放」を例にとろう。日本であれば、警察が籠城する家を取り囲み、犯人に向かって「お前は包囲されている。出てきなさい」とシャウトするシーンが思い出されるが、科学的にはこれはリスクが高い。犯人が激高したり、絶望し人質を道連れにしたりする可能性があるからだ。