自分のすべてを発揮する最高の場面だった

さらに、栗野さんは続けて話してくれました。

「結局このプロジェクトの肝は、もちろん障害当事者のみなさんのための服ですから、動きやすいとか、着やすいとかいう機能面、ギアとしての要素がいちばんに来るわけですよね。でも、『カッコいいかどうかは関係ない?』と言われたら、そうじゃない。『せっかくだからカッコよくしなくちゃ』というクリエイターとしての気持ちをどれだけ込められたかだと思うんですよね」。

ユナイテッドアローズの社員さんが、障害当事者のみなさんを見ているときの目が本当に印象的だったのを覚えています。もう、目がキラキラに輝いていた。

あえてこういう言い方をすると、障害当事者の方を見て、キラキラすることってないじゃないですか。でもきっと、服作りのプロフェッショナルにとって、障害当事者の方が持つある意味での弱さや、解決すべき課題は、「自分というすべてを発揮する」最高の場面だったんです。

役立つ、かつ、目立つ。視力を補完するためのメガネがいつしかファッションアイテムになったように。「041」から生まれた服が健常者にも購入されていったのは、だれかの弱さが、だれかの強さを引き出したから。超マイナーな世界のために超メジャーな企業が動いたから。そんな魔法がかかったからなんだと思います。

メジャー企業だからこそ抱えていた2つの課題

「041」に参加してくれた多くの社員さんは、きっとそこまで自分たちの仕事に不満を持ってはいなかったはずです。憧れのアパレル業界で、花形の商品企画やデザインに取り組んでいられている。でも、ユナイテッドアローズの中にも大きな課題感があったと栗野さんは言います。1つは、モチベーション。

「デザイナーって、最初はたとえばパリコレとかミラノコレクションに代表される既存の権威に認められるために必死にやるんです。でも、ようやく認められる頃にはそんな自分の初期衝動も、ちょっと萎えてきてしまう」。

もう1つは、大量生産・大量消費の社会。

「なぜそんなに急ぐ? とふと思う。早いことはいいこと? というふうに。でもファストフードは肥満を生み、ファストファッションは大量廃棄や、バングラデシュで起きた『ラナ・プラザの悲劇』のような、過酷な労働環境を生んだ。早いって、なにかいいことがあったのか? あんまりないんじゃない? イージーに選ばれるようなものをやっているかぎりは、イージーに消えてくしかないか」。