杉浦景子さんは、賃貸住宅情報誌「CHINTAI」の編集職を夢見てCHINTAI(旧:賃貸住宅ニュース社)に新卒で入社。しかし同期の中で唯一子会社に出向となり、本社に戻ってきたあともなかなか昇格できなかった。「結果を出さなければ」と焦り、孤軍奮闘しては空回ることを繰り返していた杉浦さんの働き方を変えた、ある上司の、今も心に残る一言とは——。
同期でひとりだけ子会社に出向。独自のスタートを切るが…
東京で一人暮らしをスタートするとき、初めて手にしたのが「CHINTAI」だった。分厚い冊子にびっしり物件情報が満載され、わくわくしながら部屋探しをしたという。その編集を目指して、2003年に賃貸住宅ニュース社(現:CHINTAI)へ入社。
だが、最初の配属先は海外のアパートメントホテルを手配する子会社だった。30歳前後の、洗練された都会的な女性の先輩たちに囲まれ萎縮しつつ、英語が飛び交う職場で厳しく鍛えられた、と杉浦さんは懐かしむ。
「私は英語も苦手だったけれど、精神力が強いと見られていたようで(笑)。同期の中で、ひとりだけ子会社に配属されました。当時は泣きながら、付いていくのが精一杯でしたね」
その後、配属先の子会社が旅行会社(CHINTAIトラベルサービス)になり、旅行サイトの制作に携わるが、その仕事が楽しかった。出向社員として、周囲との壁を感じた杉浦さんは思いきって転籍を決意。晴れてCHINTAIトラベルサービスの社員になったことで、より職場に馴染んでいくが、7年目に「CHINTAI」からの辞令で、再び本社へ戻ることになった。