コロナ禍で注目された「派遣テレワーク」の導入に尽力
人材サービスのパイオニアであるリクルートグループのなかで、人材派遣事業を中心に展開するリクルートスタッフィング。未経験から事務職キャリアを育てる「キャリアウィンク」、プロフェッショナルな即戦力人材の時短ジョブを紹介する「ZIP WORK」など、多様な働き方を提案している。
さらにコロナ禍において、企業から注目されたのが派遣テレワークだ。育児や介護、傷病などの制約を抱えている人、副業と両立したい人が派遣先での勤務と在宅ワークを組み合わせる「出勤オフ派遣」。その導入に取り組んできたのが、スマートワーク推進室室長の平田朗子さんだ。派遣スタッフの柔軟な働き方を推進する平田さんにも、自分を活かせる場所を模索してきた日々があった。
「自分自身も金銭的に苦労して育っているから、私の中で働くということはすごく尊いことなんですね。人は働いてお金をもらうということが素晴らしい社会参加の形だと思うので、私もこの仕事を通して何かできることがあればと考えてきました」
大学進学を目標に。給与が良かったのが入社のきっかけ
リクルート入社は1985年。4大卒は数百人にのぼる大量採用時代だったが、平田さんは20人ほどの高卒採用の一人。都立の進学校で学び、大学進学を希望していたが、家庭の経済状況で断念せざるを得なかったのだ。それでも「ジャーナリストになりたい」という夢があり、しばらく働いて学費を貯めたら、いずれ大学へ行こうと心に決めていた。
「それでお給料が高いところへ入ろうと思いました。進路指導室に来ていた求人パンフレットを見ていたら、初任給が一番高かったのはバスガイドで、二番目がリクルートでした。でも、バスガイドは歌が苦手なので無理だなと……」
とはいえ、リクルートという企業をほとんど知らなかったという平田さん。最初に配属された情報システムの部署では「まったく成果が出せず本当にダメだった」と苦笑する。
自分には向いていないと落ち込んでいたが、3年目に住宅情報誌の営業へ異動。思いがけず肌に合っていたという。
「めちゃめちゃ向いていたような気がします。営業の仕事は能動的で裁量権がありました。毎日会社へ行って何をするかを自分で決められる。繁忙期は終電帰りが続いても、楽しくてしょうがなかったんです」