大阪市民に大阪都構想の是非を問う2度目の住民投票は、またも僅差で否決された。都構想の生みの親である橋下徹氏が「改革の10年」を総括する。プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(11月10日配信)から抜粋記事をお届けします。

大阪都構想運動は「改革の進め方」の教科書である

11月1日、大阪都構想の実現を目指す2回目の住民投票が行われ、賛成67万5829票、反対69万2996票で残念ながら再び否決された。5年前と同じような僅差での敗北だ。結果を受けて、大阪のメディアでは、論説委員やコメンテーターたちがあれやこれやと論じている。だけど、どれもこれもピントがずれている。

大阪都構想運動とその結末に関する話は、改革の進め方一般に通じるものなので、たとえば民間企業における改革戦略においても参考になるだろうし、これからの日本の改革の進め方にも大いに参考になると思う。

そこで大阪都構想の当事者中の当事者である僕が、大阪都構想運動とは何だったのかについてズバッと解説しようと思う。

「本気の政治」を続けてきた松井一郎さんの引退表明

大阪都構想を僕が提唱したのが2010年。2015年に1度目の住民投票で否決となり、2020年、今回で2度目の否決となった。

橋下 徹『大阪都構想&万博の表とウラ全部話そう 』(プレジデント社)
橋下 徹『大阪都構想&万博の表とウラ全部話そう 』(プレジデント社)

10年にもわたる大阪都構想運動に、今回の否決によって区切りがついた形である。

僕は2015年で離脱したが、その後5年間も、松井一郎さん、吉村洋文さん、そして大阪維新の会のメンバーは粘り強く大阪都構想運動を継続してくれた。

本当に長い間お疲れ様でした!!

本気の政治をやれば心身ともにボロボロになる。まあ5年が限界でしょ。それを10年もやるなんて!!

今回の否決後の記者会見では、松井さんも吉村さんも、「やれるところまでやり切った」と清々しい表情だった。松井さんは2023年の市長任期満了をもって政治家を引退すると表明した。

清々しい表情だけど、本当に自分のエネルギーを全部燃やし尽くしたという感じ。

2015年5月17日、1度目の住民投票否決直後の記者会見。僕はここで政治家引退を宣言したんだけど、その横には松井さんが座っていた。

その時の映像と今を比べると、5年前の松井さんが若すぎる!(笑)

裏を返せば、5年前に比べて今の松井さんは、どっと歳を取った。これは松井さん自身も認めている。

それだけエネルギーを使い切ったんだろう。

他方、吉村さんはまだ45歳。やり切った感はあるけど、まだまだエネルギーが漲っている感がある。

松井さんに対しては、政治家を続けて欲しい、という声がそこかしこで上がっている。でも、本人はもう政治家を続ける気力も体力も残っていないだろう。

もちろん民間人としての気力と体力は十二分に残っているだろうけどね。松井さんは、民間人になったらこれまで制約されてできなかったことを色々とやりたいようだ。

(ここまでリード文を除き約1000字、メールマガジン全文は約8300字です)

※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》Vol.223(11月10日配信)の「本論」から冒頭部分を抜粋したものです。もっと読みたい方は、メールマガジン購読をご検討ください。今号は《【総括・大阪都構想(1)】僕だから語れる「改革の10年」が無駄ではなかった理由》特集です。

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