府と市の「二重行政の解消」が目的だったはず
いわゆる「大阪都構想」が11月1日の住民投票で否決された。なぜ大阪都構想は再び否決されたのか。ひとことで言えば、市民の間から盛り上がった「草の根運動」ではなく、どこまでも政治色の強い運動だったからである。
沙鴎一歩は9月11日付の記事「吉村市長と松井市長は、なぜそこまで『大阪都構想』にこだわるのか」で、「公明党の政治的思惑で決まったことなのである」と指摘した。政治的思惑で決まった住民投票は盛り上がりに欠けるため、再び否決されるだろうとみていた。
本来、大阪都構想の目的は、大阪府と大阪市の二重行政の解消だった。具体的には東京都をモデルに交通基盤整備などの広域行政を大阪府に一元化し、福祉や子育てなど身近な住民サービスを特別区に担わせる構想だった。
公明党の方針転換がなければ今回の住民投票は行われなかった
大阪都構想は、日本維新の会が旗印にしてきた政策である。地域政党の大阪維新の会を創設した元大阪市長の橋下徹氏によって提案され、2015年5月に住民投票が実施された。だが、そのときも僅差で否決され、橋下氏が政界を引退するきっかけとなった。
初めから政治的な産物だった。しかも橋下氏という勢いがあって発言力の強い政治家から生まれた構想だった。
昨春、後を引き継いだ大阪維新の会代表の松井一郎氏と代表代行の吉村洋文氏が、知事・市長のダブル選を仕掛けてともに当選した。これもかなり強引な手法だったと思う。
さらに驚かされたのが、公明党だった。公明党は松井・吉村コンビの圧勝を見て大阪都構想賛成に方針を転換し、その結果、賛成多数で今回の2度目の住民投票が決定した。
公明党の方針転換がなければ今回の住民投票は行われなかった。大阪府内の衆院小選挙区で全国最多の4議席を持つ公明党は、次の衆院選挙で大阪維新の会(日本維新の会)と対決して票を減らすことを避けようとしたのである。維新は次期衆院選で対抗馬擁立をちらつかせていた。公明党はこれを恐れ、維新と手を結んだ。維新以外の全政党が反対した前回の住民投票での構図が一変したのである。