※本稿は、稲若健志『世界を変えてやれ! プロサッカー選手を夢見る子どもたちのために僕ができること』(東洋館出版社)の一部を再編集したものです。
学校の先生が「名将」と持てはやされる日本の異常
高校サッカーを学校の先生が指導している現状についていえば、海外では学校の先生がサッカーを教えているケースはありません。日本だけの文化であることは知っておくべきです。それなのに、日本のメディアは学校の先生たちを「名将」と書きます。
名将というのは、高校サッカーの中で勝ち星を挙げているから良い監督だ、という思い込みがあるからですが、結局は高校サッカーの中の名将であり、プロの指導者であれば、より理論的に教えられるのは間違いありません。
高校サッカーの悪しき例を挙げましょう。たとえば、年に1回、チームとして海外に遠征に行くことがあるとします。遠征先で色々なチームと試合をこなし、すごく良い経験になったという感覚を抱きながら、帰ってきたときに「あのときはああだったからこうだよね」と、現地で経験したことが海外のすべてという感覚で指導を展開する方々が少なくありません。
遠征したのはたったの1週間です。サッカーはそんなに甘くはありません。高校サッカーの先生たちがサッカーの1から10まで説明できるかと言えば、説明できない先生が圧倒的に多いのが実情です。
学年単位で分ける制度は、世界から取り残されている
やはり、勉強を教えて、放課後だけサッカーを教える、という環境には限界があるように感じてなりません。日本の高校生に当たる年齢である、15歳から18歳の間というのは、海外であればプロになってもおかしくない年齢です。であるにもかかわらず、日本の場合は高校3年間はプロにはなれず、卒業するときの18歳になって初めてプロになれる可能性がでてきます。
そういう学年単位で分けられる制度自体が、もう時代に付いていけていません。18歳までは高校サッカー選手権に出場して優勝しましょう、そしてその後にプロになりましょう、そんな仕組みは世界には存在しないし、その分だけ日本のサッカーは世界から取り残されてしまいます。そこは変えていかないといけません。
高校年代でサッカーをプレーする環境のすべてをクラブチームに統一するか、部活動の指導者をすべて外部に委託するか、このどちらかしか方法はないのだと思いますが、現状では、高校サッカーで優勝することそのものが目的である場合、そんな改革をしなくても問題はない、となってしまうのが結末でしょう。