『五輪書』は、武蔵の剣法「二天一流」のスタイルを整理して懇切丁寧に教えてくれるテキストである。だが武蔵は、自らの剣法の綿密な説明をしつつ、「戦いの現場では俺が教えるスタイルに拘(こだわ)るな」と、説いているのだ。そんな矛盾のように思える武蔵の信条をシンボリックに述べている項目が、「水之巻」にある「有構無構のおしへの事」だ。

武蔵はまず「我が二天一流は決して複雑なものではない」と説き、剣を構えるスタイルとは上段・中段・下段・右横・左横の「わずか5種類しかない」と教える。そしてこれら5つの構えについて、それぞれの基本型と実戦での活用法を述べる。たとえば近づいてくる敵を中段の構えでさばく場合には、切っ先を返して敵の刀を打ち下ろし、敵の動きを止めたところで、打ち下ろした刀を返して、下から一気に敵の手を叩け、と説明している。ところが、これだけ詳しく述べた後で、「だが、剣の構えなど実際には有って無きが如しなのだ」と、自らの説明の価値を否定し去るのだ。