老子は、西欧においても大人気の古典だ。その事実を象徴する記録が、翻訳の数になる。

英語に訳された『老子』は実に40種を超え(当然ナンバーワン)、「聖書」よりも多い翻訳が揃う古典なのだ。

そして、そんな『老子』の教えのなかでも、とりわけ西欧の哲学者やニュー・サイエンスの旗手に人気なのが、「道(タオ)」。この「道」とは、一言でいえば「世界の法則」といった概念に近い。

たとえば、ビッグバンや宇宙の膨張、身近なところでは、死んだセミの風化や放置したパンの腐乱まで、すべての現象は「道」の作用の結果にほかならない。

つまり、世界におこるすべての変化の源、すべての物事を成り立たせる力が「道」なのだ。

『老子』ではこれを次のように説明する。

・これが「道」だと説明できるような「道」は、ほんものの「道」ではない。これが、「名」だと説明できるような「名」は、ほんものの「名」ではない。
「道」、すなわち、「無」こそ万物の根源であり、そこから「有」、すなわち天地が生まれ、万物が生まれた。
(道の道とすべきは、恒の道にあらず。名の名とすべきは、恒の名にあらず。無名は万物の始めなり。有名は万物の母なり)1章

なぜ、「道だと説明できるような道は、ほんものの道ではない」のか。ビッグバンやセミの風化といった事象は、「世界の法則」の1つではあるが、それがすべての法則を代表するわけではない。人の限られた知見では説明し尽くせないのが「世界の法則」、つまり「道」になる。

また、人は世界の法則の結果に触れることはできるが、法則自体を見ることも聞くこともできない。いわば「無」でしかない。だからこそ「名だと説明できない」という指摘になってくる。

この「道」や「世界」という概念、実は現代を生きる我々にこそ役に立つ面を色濃く持っている。なぜなら、「道」や「世界」には、自分がオンリーワンの存在であることを人に再認識させる力があるからなのだ。

これを説明するのにうってつけの事例がある。それが2003年に発売され、250万枚以上売り上げた大ヒット曲、SMAPの「世界に一つだけの花」だ。