老子は、アメリカの経営者の間でリーダーシップの教本として高い人気を誇っている。

その顕著な例の1つが、ヒューレット・パッカードとコンパックの合併に辣腕を揮ったカーリー・フィオリーナ女史だ。かつて来日したさいの記者会見で、『老子』の次の1節を引用している。

・最も理想的な指導者は、部下から存在すら意識されない。部下から敬愛される指導者はそれよりも1段劣る。これよりさらに劣るのは、部下から恐れられる指導者。最低なのは部下からバカにされる指導者だ。
 (太上は下これあるを知る。その次は親しみてこれを誉む。その次はこれを畏る。その下はこれを侮る)17章

要は、部下が自分でやり遂げたと思える組織を作りたいと口にしていたのだ。

しかし、傍目には、2番目の「敬愛される指導者」でも十分素晴らしいと思うのだが、なぜこれが最上ではないのだろう。ここには『老子』の抜け目ない統治術が関わってくる。

「部下から存在すら意識されない上司」とは、言いかえれば「あの人のことは置いておいて、我々だけで何とかしよう」「仕方ない人だから」と部下に言われてしまうような存在のことだ。この「仕方ないから」と諦められてしまうのは、実は何かと美味しい立場にほかならない。

筆者はサラリーマン時代に、この点で面白い経験をしている。筆者は書店で10年ほど働いたことがあるが、そのときデパート内の支店を担当した。そこで頻発したのが、外商部を通じた顧客とのトラブルだった。

デパートの外商部は、上得意の顧客の注文やわがままに融通を利かせるかわりに、莫大な金額を落としてもらうという図式で成り立っている。そういった扱いに慣れた顧客が書店に来ると、自分だけを特別扱いしろ、というトラブルが往々にして起きる。