ビジネス系の雑誌で、「論理力」を高めるとか、「戦略的発想」を磨くといった特集が組まれることがある。

内容はどれもうなずけるものばかりだが、ひとつ疑問に思うのは、ライバルも同じ特集を読んで学習していれば、結局、差をつける原動力にはならず、武器にするために際限のない努力を強いられるのではないか、という点だ。

実は、同じ問題はビジネス自体にもつきまとっている。家電メーカーにいる友人が、こんなことを口にしていたのだ。

「デジタル家電の新製品を出しても、すぐに真似されて値段が下がっちゃうから、利益が出ないんですよね」

この問題を解く鍵は、「デジタル」という言葉にある。

「デジタル」の入力は定量的、論理的に構成されるため、出力にはまったく差が出ない。論理的な学習や、大量生産される製品を開発する場合、デジタルの特性を必ず持つので、結局ライバルにも学習され、真似されてしまうのだ。もちろん逆も然りで、この競争はエスカレートせざるを得ない。こうしたデジタルの弱点を見据えていたのが、『老子』だった。

・学問を修める者は日ごとに知識をふやしていくが、「道」を修める者は日ごとに減らしていく。減らしに減らしていったその果てに、無為の境地に到達する。そこまで到達すれば、どんなことでもできないことはない。
(学を為むる者は日に益し、道を聞く者は日に損す。これを損してまた損し、以って無為に至る。無為なれば則ち為さざるなし)48章

学問を修める者とは、デジタルに知識を積み上げるタイプ。一方、道を修める者は、これを減らし続けるというのだ。