宮本武蔵は、最晩年に己が剣の奥義をまとめた兵法書に『五輪書』というタイトルを付けた。これは、その名のとおり5つのパートに分けられていて、順に「地之巻・水之巻・火之巻・風之巻・空之巻」と名付けられている。仏教の教えで「世界の5大要素」とされる「地・水・火・風・空」になぞらえたわけだ。

もっとも、内容に“仏教くさい説教じみた匂い”は全くない。どこまでも「戦いのノウハウ」を記した書である。そもそも武蔵の人格に仏教的なところはない。

武蔵という人は、じつはなかなかの苦労人で、あちこちの大名家に「剣術指南」として自分を売り込もうと奔走した経験が長い。それだけに名を売るための“イメージ戦略”も心得ている人で、どうやらそのへんのフィーリングから、こんなネーミングを思いついたフシがある。

各巻の中身についてザッと述べておくと、「地之巻」は兵法の総論。「水之巻」は剣技の具体的解説。「火之巻」は実戦でのテクニック論。「風之巻」は他流派の分析。そして「空之巻」が、武芸者の心構えである。各巻は、さらに細かい項目に分かれており、総項目数は80ほどだ。この連載では、それらの中からとくに興味深い幾つかをチョイスしていく。

さて、そこで今回注目したのが、第1巻『地之巻』「兵法の拍子の事」である。

拍子。武蔵によれば、実際に敵と剣を交える場面において常に気にかけるべきものだと、いう。武蔵はこのキーワードを、説明する状況によって微妙に意味を換えているが、だいたい「リズム・タイミング・チャンス・バイオリズム」といった類のものと解釈して、よい。

弓を射る。鉄砲を撃つ。馬に乗る。こうした戦いの動作には「拍子」つまりリズムが最も重要だという。なるほど、そうだろう。こうした戦いの動作に限らず、ものごと万事に“効率よい仕事の動き”とは、リズミカルなものである。

『五輪書』が他の兵法書と比べて優れているのは、常に“敵の存在”をはっきり意識して述べている点だ。無論、敵にも敵のリズムがあるわけだが、武蔵はここで、自分のリズムに拘(こだわ)ることを否定する。それよりも敵のリズム(合う拍子)をつかみ、そして、敵と“ずれたリズム”(違う拍子)をその場で我がものとせよ――と教えている。つまり、現場で敵のリズムを意図的に崩す(背く拍子)のが勝利への道だと、いうのだ。

人生は他者を気にせず我が道を行け――などと説く教えは、世に多い。だが武蔵は、そうは言わない。

武蔵にとって人生は「他者との競争」であり「勝負」なのである。そして勝利とは、敵を負かすこと、敵に先んじることなのだ。そのためには、敵の「拍子」を先ず知れ。そのうえで、それを超える「拍子」を我がものとせよ――と。

つまり「まず己ありき」ではなく「まず相手ありき」なのだ。勝つためには、己の「拍子」を相手次第で臨機応変に変えなければならぬ。それが武蔵の訴えだ。

実際、武蔵は『五輪書』の冒頭で「60回以上の真剣勝負をして全て勝ってきた」と豪語しているが、残っている記録だけを調べても、その戦い方は千差万別である。長刀でオーソドックスに戦ったこともあれば、力任せの体当たりで勝ったこともある。スピード勝負で敵との間合いを一気に詰め、短刀1本で敵の急所をしとめたこともある。まさしく敵に合わせた変幻自在の戦いぶりなのだ。

世間には、何につけ、自分のやり方に固執する態度を「意志が固い」とか「誇り高い」とか美化する傾向がある。だが、それは得てして、愚かな「頑迷」や「エゴイズム」と紙一重の場合が多い。“ビジネス相手の個性”はそれぞれである。1つのやり方に拘っては、1度の成功はあっても、成功の積み重ねはない。武蔵の教えはそんな警句として受け取れる。