宮本武蔵が『五輪書』で説いてくれている「勝つための要素」は、じつに多彩である。が、これらは大きく2つの種類に分けられる。

すなわち、1つが、肉体的・物理的な動きを教える技術論。そしてもう1つが、メンタル面の心得。戦いにあたって、どう覚悟するか。さらに敵の精神状態をどう読み、どう操作するか。いわゆる駆け引き・心理戦のポイントだ。今回は、それぞれの代表的な教えをご紹介したい。

まずは、技術論としての重要な教え。「火之巻」にある「3つの先と云事」。

ここでいう「先」とは、先手の意味である。真剣勝負の現場は、たとえばルールに“守られた”野球のスタジアムなどとは訳が違う。先攻・後攻の取り決めなどあろうはずもなく、敵の攻撃を受けた次に“自分の攻撃の順番”を得られる保証など、どこにもない。

だから、である。勝負の現場では必ず先手を取れ。先手を取った者は、敵に反撃させず一気に畳み掛けて勝負を決められる“特権”をゲットできる。先手ほど戦いを有利にするファクターはない。

――と、これが武蔵の訴えだ。

武蔵は「先手の取り方」を3つに分類している。まずは「懸の先」。いきなりこちらから仕掛ける先手である。次が「待の先」。敵が自分より先に動き出した時に取る先手である。最後が「対々の先」。自分と敵の動き出すタイミングが同時だった際に取る先手である。

これらは、いずれも戦いの状況次第でいろいろと変わるわけだが、大切なのは、パワーを発揮するタイミングだ。いきなりバッと敵の前に出たほうがいい場合もあれば、わざと一瞬の“溜め”を作って敵のバランスを崩し、そこですかさず先手を取るといったテクニックもある。全力で一気に力押しする場合もあれば、ジワリジワリと敵を威圧していったほうが先手を取り易い場合もある。

要するに、先手を取ることは、その場での“一瞬の判断力”にかかっている。百戦錬磨の武蔵ならではの説得力ある分析が、この項目に示されている。

さて次にご紹介するのが、同じく「火之巻」にある「むかつかすると云事」だ。

「むかつかする」とは「敵をムカムカさせる」。すなわち「敵の冷静さを奪う」ための“心理攻撃”を意味している。

人と人の勝負は、決してパワー競争だけではない。精神状態によって、実力以上のパワーを出せる時もあれば、実力の半分すら発揮できない時もある。

武蔵は、だから「敵の実力を出させるな」と教える。そのために「敵の冷静さを奪え」と。それが「むかつかする」だ。

これもやはり、武蔵は3つのパターンに分けている。「怖がらせる」「あきらめさせる」「パニックに陥らせる」だ。

前者2つは、相手に「こちらのほうが強い」と“思い込ませる”ことである。これは、実際に強くなくてもよい。言ってしまえば「うまくハッタリを利かせろ」ということだ。

3つめは、いきなり敵の予想外の行動に出ることである。敵を「まさか思いもよらない!」と、狼狽させることである。

これは「論理的に思いもよらない」ことと「心情的に思いもよらない」ことに分けられる。たとえば武蔵は、あの有名な吉岡一門との決闘の場において、数十人の敵の武士らに目もくれず、いきなり、まだ幼い吉岡家の跡取り息子を斬り捨てた。まさか子供を襲うなど“人の情”としてありえまいと思っていた周囲は大パニックに陥った。最強の剣豪と呼ばれる武蔵といえども、数十人の敵を1度には相手にできない。武蔵は「むかつかする」ことで大ピンチから生還したのだ。

技術と心理的駆け引き。勝負に勝つための“両輪”である。『五輪書』はそのどちらにも片寄らぬから、名著なのだ。