不世出の大剣豪、あの宮本武蔵が最晩年に書き記した著書。それが『五輪書』である。
武蔵の生年は、1584年。戦国時代のフィナーレとでも呼ぶべき「関ヶ原の合戦」の、わずかに16年前。そして、没年は1645年。徳川幕府の安定期に入りつつあった3代将軍・家光の治世の時代。つまり彼は「戦国武士の最後の世代」である。
昨今の若い人だと、マンガの主人公として宮本武蔵の名を知って、そのため、彼を架空の人物かと思い込んでいる人もいるようだ。もちろんこれは思い違いだ。
ところが、である。当時のさまざまな資料から推すに、これが実際“マンガの主人公顔負け”のとんでもない強さだったらしい。そのズバ抜けた剣の実力は「天才」という形容でさえ追いつかないほど、神がかったものだったという。
その宮本武蔵が自ら編み出した剣の流派を「二天一流」と言い、その「二天一流」について解り易く説いた書が『五輪書』なのである。武蔵はこれを60歳の時に書き上げ、その完成を見てほどなくして静かな死を迎えた。『五輪書』は文字どおり、宮本武蔵の遺著である。「二天一流」、俗に「二刀流」とも呼ばれる。
その特長は「剣を片腕で使いこなすこと」を究極の目的とする。したがって、「いざとなれば両腕で同時に2本の剣を使うのも可能」という話になるわけで、常に剣を2本持つ流派なのではない。
もっとも、日本刀は両腕で握り構えるのが基本コンセプトの武器であり、それ相応の重量がある。武士が日常にあってこれを腰に差して平気でいる点からも解るとおり、ふだん持ち歩くだけならさしたる負担にもならない。が、いざ敵と剣を交える段になって、これをビュンビュン振り回すとなると、これがなかなか腕の筋力を必要とする。ましてや敵の剣とぶつけ合う剣戟(けんげき)の衝撃は結構なもので、両腕で持っていてもそれなりの握力がないと、構えのバランスを保てない。