遂に誕生した日本発の「世界最強車」日産GT-R。その開発責任者の座を一度は拒絶した「自動車づくりの棟梁」はなぜ立ち上がったのか。そこには、ある神がかり的な“偶然”が……。

もう、演歌や浪花節のGT-Rじゃダメ

「いきなり本題から入っちゃうけど、キー・エッセンスって、やっぱりMADE IN JAPANなんだよ」――のっけから、堰を切ったように言葉が溢れた。

「日産GT-Rというより、まさしく“ニッポンGT-R”なの。ブランドって、僕はナショナリティだと思ってる。土地と、そこに住む人の智恵なんだよ」

<strong>水野和敏</strong>●NISSAN GT-R車両開発主幹兼チーフ・プロダクト・スペシャリスト。1951年生まれ。72年、日産自動車入社。89年、ニッサンモータースポーツインターナショナル。2000年、第一車両開発部車両開発主幹。右は車体計画・設計グループ主担の鈴木信男氏。
水野和敏●NISSAN GT-R車両開発主幹兼チーフ・プロダクト・スペシャリスト。1951年生まれ。72年、日産自動車入社。89年、ニッサンモータースポーツインターナショナル。2000年、第一車両開発部車両開発主幹。右は車体計画・設計グループ主担の鈴木信男氏。

07年12月に国内で発売されたNISSAN R35GT-R(以下GT-R)の開発総責任者、水野和敏。国内外で数々のレースの実績と、Z33フェアレディZなどのヒット車を持つ。多くの腕利き職人がそうであるようにリアルで尖がった言葉を連発する水野は、しばしば悪戯っぽい笑顔のまま「俺、バカだから」「嫌われ者だから」を繰り返す。謙遜か、投げやりか、「でもあなたよりはましだ」と笑われているのか、当初はわからなかった。