安定供給元を確保できなければ、ニッポンの食卓からマグロが消えてしまうかもしれない――。そんな危機感を胸に抱き、男はついに決意した。壮大なるプロジェクトに賭けた情熱と勝算とは――。
「砂糖か、マグロか」迫られた人生の決断
「おっ、行った行った!」
濡れた甲板に膝をつき、船端から一心に海面を凝視していた男が小さく声を上げた。活魚船の側面に開いた小さな穴から、直径30メートルの生簀の中へ弾丸のように飛び出していくのは、体長40センチほどのクロマグロの幼魚、ヨコワ。体側に横縞があるため、こう呼ばれる。
長崎県松浦市鷹島町――。
長崎県の北東部に位置する鷹島は周囲約40キロ、人口3000人弱、美しいリアス式海岸を持つ漁業の島である。
双日が鷹島にマグロの養殖基地建設を正式決定したのは、2008年5月のこと。今日は2回目のヨコワの入れ込み(放流)作業が行われている。
スポーツウエアに身を包んだ男は、時速100キロで泳ぐヨコワの魚影を身じろぎもせずに追っている。男の仕事は、納品されたヨコワの検品。最後の1匹まで、目を離すことはできない。
朝8時半に始まった2000匹のヨコワの入れ込み作業が終了したのは、正午過ぎ。やれやれという表情で男が甲板に立ち上がると、180センチ近い長身である。男は、ロンドンの社交界を燕尾服姿で闊歩していた過去を持つ。
半澤淳也、37歳。双日水産流通部第一課(マグロ課)の課長代理と、双日ツナファーム鷹島の取締役を兼務する。鷹島でのマグロ養殖事業の責任者である。
東大文学部を卒業した半澤が旧日商岩井に入社したのは、1994年。食品に興味があった半澤は砂糖コーヒー部に配属され、入社以来一貫して砂糖の輸出入を担当してきた。
砂糖は商材として長い歴史を持ち、業界は格式を重んじる。400年前の東インド会社設立以来、砂糖取引の中心地はロンドンであり、半澤も01年から06年まで英国駐在員として活躍した。