小説『坂の上の雲』の中で、人物名が目次に登場するのは秋山真之と山本権兵衛の2名のみである。山本権兵衛は、西郷従道の信頼のもと、日本海軍の構築にその手腕を存分に振るう。ドラマ『坂の上の雲』で山本権兵衛役を演じる石坂浩二さんは、「いまだからこそ求められている人物像がそこにある」と語る。
信念をもって断行したリストラ
日本の歴史の中で、国家の土台がつくられたのは「明治の力」が大きかったと思います。司馬.太郎さんが書かれた幕末から明治にかけての人物の思想が流れているからこそ、我々がいまここにいるのだと感じます。
山本権兵衛は、仮想敵と戦った場合に負けないだけの物質的戦力と人的組織をつくらなければならないという使命を感じ、日清・日露戦争の期間を通して、それに没頭しました。少ない戦力で日本の植民地化を防がなければならないという逆境の中で、後ろ盾となっていた西郷従道はもちろん明治政府も、権兵衛の意思を尊重していました。
司馬さんは、権兵衛を日本海軍の設計者であり、推進者であり、オーナーであるとしています。たしかに、日清戦争当時の日本海軍は劣弱そのものでしたが、日露戦争直前には、権兵衛たちの力で世界の五大海軍国の末端につらなるまでになりました。
また軍艦・金剛まではイギリスなどの海外でつくらせましたが、それ以降は日本でつくると決めるなど、技術的に貢献した側面もあります。呉の巨大な造船ドックは、太平洋戦争後の復興を支えた造船業にまでつながりました。そういう意味では、権兵衛は今日に至るまで日本に貢献した人物と僕は考えます。
なかでも、海軍の組織づくりに取り組んだことが重要だったと思うんです。それは東郷平八郎を抜擢したこと一事をとっても、十分にうかがえると思います。大規模なリストラに取り組んだために、後年、海軍から疎んじられた時期もありました。しかし権兵衛は信念を貫き通した。近代海軍をつくるためには幕末海軍の延長から脱皮し、近代的な教育を受けた有能な人材を登用しなければならないとの信念が、権兵衛の行動を貫いていました。
いま、面と向かって話をしながら物事を進めていくという人が少なくなってきているように思いますが、権兵衛は、説明する必要がある場合には、行動を起こし、説得に動きました。
そもそも権兵衛は自筆の文書をあまり残していないのですが、それはなぜかというと、自分の気持ちを手紙では伝えにくいから面と向かって伝えたいと考えていたからなのではないでしょうか。そこが組織づくりのうまさにつながっていると思います。