「わしは東郷を信じるただそれだけだ」
権兵衛は一人ひとりとの対話を通じて、自分の意思が行き渡るように人員を配置し、組織しています。派閥を超えて斎藤実を海軍次官に抜擢し、権勢欲や私心がないと評された島村速雄や加藤友三郎らを引き立てたのは、自ら信じる日本海軍のあるべき姿を組織に根付かせようと考えたからだと思います。
東郷に連合艦隊司令長官への就任を要請したときも、「万事、中央の指令どおりに動いてもらわねばならぬ」と念を押します。東郷は「大本はそれでゆくとして、現場でのかけひきはぜんぶわしにまかせてもらうがそれでよろしいな」と確認をしたうえで引き受けました。
その後の東郷に対する権兵衛の信頼は徹底していました。バルチック艦隊が対馬海峡を通るか、太平洋から津軽海峡か宗谷海峡を通るかの判断に揺れたとき、東京の軍令部は、日本海で待機する東郷に対して津軽海峡コースでも対応できるように指示しようとした。これに対して権兵衛は、「それをやってはいかん。敵がどこから来ようと、わしは知らん。わしは東郷を信ずる。ただそれだけだ」と言ったと、司馬さんはこのくだりを書いています。
これまで権力者やリーダーなどさまざまな役柄を演じながら感じたことですが、上に立つ人物には共通点があります。それは、人の力を見抜くことです。権兵衛には、人の「運」を見抜く力がありました。「運」というのは、結局はその人の「才能」です。戦(いくさ)の才能なんてものは本来、やってみなければわからない。それにもかかわらず「東郷は運のいい男」と見抜いたからこそ、連合艦隊司令長官の座に、長く友人関係にあった日高壮之丞を降ろしてまで東郷を任命したのだと思います。