「男は黙ってサッポロビール」
1970年代前半に一世を風靡したテレビコマーシャルのコピーだが、私の故郷である越後をはじめとする北国には、普段は無口なものの、一度口にしたことや決めたことは責任を持って貫き通す人間が多い。上杉謙信の後を継いだ景勝は、そうした北国の人間特有の気質を持った殿様だった。
特に景勝の場合、極端に口数が少ないだけでなく、「笑わぬ殿様」でもあった。人前で笑ったのは、何と生涯で一度きりだったといわれる。あるとき愛玩していた猿が、置き忘れた景勝の頭巾を掴んで逃げ出した。大騒ぎする家臣たちを尻目に猿は松の木に上り、手にした頭巾を頭にかぶって、神妙な顔つきで両手を合わせてお辞儀をして見せた。そのおかしな仕草に景勝もこらえきれずに、くすりと笑ったというのだ。
しかし、謙信という偉大な武将を先代に持った景勝には、想像を絶するプレッシャーがかかっていたはず。「越後の龍」「甲斐の虎」として謙信のライバルだった武田信玄に率いられた武田家は、その子供の勝頼の代で滅んでいる。超実力社会の戦国時代において、武勇を誇る家といえども二代続く保証はどこにもなかった。それゆえ景勝は、常に沈思黙考、熟慮を重ねて物事を決断していくほかなかったのである。
「兵法には迂を以って直と為すということあり。危うき道に不意の患いあり」
これは天正15(1587)年、謀反を起こした新発田(しばた)重家を討伐する際に、谷間の一本道が近道だと進言する家臣に対して景勝が発したといわれる有名な言葉である。実際、その近道の脇には新発田の軍勢が待ち伏せをしていた。景勝の判断で上杉軍は難を避けられたのだ。
近世儒学の祖である藤原惺窩(せいか)は、戦国武将で学を好んだ者は上杉謙信、高坂昌信ら5人しかいないと述べた。そのうちの一人、小早川隆景にまつわる興味深い話がある。軍師として知られる黒田如水が隆景に「戦国一の分別者といわれているが、どうして判断を間違わないのか」と尋ねたところ、「あなたほどの才気はないので、じっくり考えている」と答えたというのだ。
熟慮したうえでの決断であれば、大きく間違うことはない。終生、熟慮断行の姿勢を貫き、ブレることのなかった景勝だから、家臣も安心してついてきたのだろう。いまビジネスの世界では即断即決が尊ばれているが、そんな景勝の姿勢からは熟慮することの大切さを改めて思い知らされる。