渋沢栄一:1852~1933。1840~1931。一橋慶喜に仕え、維新後大蔵省に招かれる。1873年大蔵省を辞し、企業の創設・育成に尽力。「道徳経済合一説」を説き続け、約500の企業、600の教育機関・社会公共事業に関わった。
生き残るためには変わらなければ
銀座テーラーグループ社長
鰐渕美恵子
1970年、甲南大学文学部英文科卒。大阪万国博覧会で国際連合館のVIPコンパニオンとなる。73年結婚。95年、危機に瀕した銀座テーラー再興のため、総支配人に就任。2000年、3代目社長に就任。著書に『勝ち残りましょ、銀座で』がある。
鰐渕美恵子
1970年、甲南大学文学部英文科卒。大阪万国博覧会で国際連合館のVIPコンパニオンとなる。73年結婚。95年、危機に瀕した銀座テーラー再興のため、総支配人に就任。2000年、3代目社長に就任。著書に『勝ち残りましょ、銀座で』がある。
日本屈指の実業家・渋沢栄一翁を身近に感じたのは、1970年の大阪万博でコンパニオンをしていたときです。私が務めた国連館の館長が、渋沢翁の従甥に当たる方でした。そんな縁もあって、その後は折にふれ、渋沢翁について書かれた文献や人伝えや講演での話を心にとどめるようにしています。
渋沢翁は江戸末期に埼玉県の豪農の長男として生を受けました。一時は、時代の風に煽られ、尊皇攘夷に身を投じるのですが、やがて幕府方の一橋家に仕え、慶応3(1867)年、パリ万博に出席する徳川昭武に随行します。そして、異国の地で昭武の兄である将軍・慶喜が大政奉還したことを知りました。
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