さらにケネディは、アメリカは1961年までに、国の威信のために宇宙開発競争においてソ連に追いつき、追い越さねばならないと感じていた。ソ連は史上初めて宇宙に衛星を打ち上げており、1961年4月にはユーリ・ガガーリンを宇宙に送り込んで、人類初の有人宇宙飛行を果たしていたからである。

難しいからこそ挑戦する意味がある

月をめざすのが莫大(ばくだい)な費用と危険を伴う、途方もない難題であるのは、ケネディも理解していた。彼はこの目標の重要性と難しさを強調して、1962年にはこう述べている。

「われわれはこの10年のうちに月へ行き、他の事業も並行してなしとげる道を選んだ。その理由は、それが容易に行えるからではなくむしろ困難で、この目標がわれわれの持つ最高の能力と技術をひとつにして、そのレベルの高さの判断に資するからであり、この挑戦こそわれわれが先延ばしせずに進んで応じて、勝利をめざすものだからである」

ケネディが掲げた目標は、1969年7月20日に達成された。アポロ11号の船長ニール・アームストロングが月面に降り立ったのである。ケネディが凶弾に倒れてからおよそ6年後のことだった。

無謀な目標を投げかけてみよう。ケネディが月面着陸を成功させるという演説を行った当時は、宇宙遊泳も宇宙空間でのドッキングも月着陸船も計画されていなかった。つまり、確信も何もない約束だったのだ。ただ、彼はこの挑戦の難しさを軽く見ていたわけではない。これがアメリカの誇りと野心、国家防衛の問題であると、国民に対して強調したのだ。アメリカの伝統であるフロンティアスピリットに訴えたのである。

ポール・スローン
作家。ケンブリッジ大学で工学を学び、IBM社に入社するとトップセールスマンとなる。マーケティング部門長や専務にまで上りつめたのち、ソフトウェア会社各社のCEOに就任。著書に『ポール・スローンのウミガメのスープ』(エクスナレッジ)、『ポール・スローンの思考力を鍛える30の習慣』(二見書房)などがあり、リーダーシップやイノベーション、ラテラルシンキング(水平思考)などに関する著作は25点を超える。
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