コスパを捨てて初めて仕事ができた
いま、私は北区の小さな工房で糸を選んでいます。
夏の終わりの夕方、メンバーと一緒にお茶を飲みながら、来週リリースする犬の刺しゅうの色を決める。一つの作品を届けるために40個の試作をします。コスパで考えれば途方もない無駄です。でもその無駄の中にこそ、自分がいる。その時間が、私の仕事の重みになっています。
外資系投資銀行にいた頃の私にはこの感覚がありませんでした。
外銀のフロアに、自分の重みはありませんでした。朝来て、エクセルを開く。資料を直す。深夜に帰る。次の朝また来る。仕事は回っていました。でも、その仕事の中に、自分の名前が入っている感じがしませんでした。私がいなくても誰かが同じ画面を開いて、同じ数字を直す。そういう設計の場所でした。
あなたにも、こんな感覚がありませんか。
一日を終えたとき、今日の自分の跡がどこにも残っていない気がする。速く仕事をこなすほど、自分が薄くなっていく気がする。違和感を飲み込み続けると、最初は重さとして感じていたものが、やがて感覚そのものが消えていく。深夜2時にジムへ走る先輩を見たとき、あの人はとっくにその段階にいるんだ、と私は思いました。
問題は、その違和感に気づかずに時間だけが過ぎていくことです。
自分を感じられなくなったとき、もう一度自分の仕事の中に自分を感じられる選択肢があるかどうか。それだけです。
「感情が動いた」瞬間に隠れている本音
外銀を辞めたのは、あの場所で自分を取り戻す方法が見えなかったからです。
異動を希望する、上司に相談する、仕事の角度を変える。そういう選択肢が頭に浮かんでも、どれも自分の答えに見えなかった。9カ月、その感覚を持ったまま、毎朝出社していました。
そして選択肢が見えないまま、自分の名前が入る仕事を、0から1になる仕事を作りたかった。その感覚だけは、はっきりしていました。いつかは独立を、と漠然とは思っていましたが、予想以上に早くそのときが来たという感覚はありました。
選択肢が見えないとき、人はどうするのでしょうか。答えは、考えても出てくるものではない、ということでした。
行き詰まった頭でどれだけ考えても、出てくるのは「辞める」か「残る」かの二択だけです。二択まで縮んだ視野の中で答えを探しても、見えないものは見えない。
では、どうするか。私が気づいたのは、選択肢は感情が動いた場面の中に眠っている、ということでした。
特にヒントになるのは、いつ、どこで、自分が笑えていたか、です。その瞬間を手がかりに選択肢を増やしてみること。私の場合、それは深夜1時のコンビニでした。同僚のニッシーと外に出て、たいした話もせず、たいしたものも買わずに歩く5分。エクセルの数字で埋まっていた頭が、その5分だけ、自分の頭に戻ってきました。
外銀の田中ではなく、ただの田中に戻れる時間。感情が動く瞬間には本音が隠れています。自分が自分に戻れる場所はどこか。それを一度、確かめてみてください。そこから次の輪郭が見えるはずです。


