彼が作品に高い質を求めたことから、この映画は完成までに4年を要し、会社の資金は尽きる寸前だった。ついに完成した『白雪姫』は1938年に最もヒットした映画となり、最初の公開で当時としては巨額の800万ドル以上を売り上げたのである。ディズニーはこの映画でアカデミー賞特別賞を獲得した。

ディズニーを突き動かしたのも大きなビジョン

ディズニーは自身のキャリアにおいて、革新とリスクに挑み続けた。映画事業自体は著しく成功していたが、それだけでは満足しなかった。彼はロサンゼルスにテーマパーク――「ディズニーランド」――の建設を考えていたのだ。「世界中のどこにもないものにしたい」と、彼は助手に語っている。このプロジェクトは300の銀行に断られたため、本人自ら必要な資金を調達したという。映画制作者による、このような異分野での前代未聞の壮大な事業の成功を、銀行が信じないのももっともだった。

ポール・スローン『いつもの仕事と日常が5分で輝く すごいイノベーター70人のアイデア』(TAC出版)

だが1955年にオープンしたディズニーランドは大成功を収める。さらには、ディズニー自身が設計した「ディズニー・ワールド」が、彼の死から5年後の1971年にフロリダにオープンした。現在は年間5000万人以上が訪れる世界一のリゾート施設となっている。

大きなビジョンを持とう。ディズニーの死から数年後にディズニー・ワールドを訪れた人が、ディズニーの甥(おい)にあたるロイに声をかけた。「叔父上がこれを目にすることなく亡くなられて残念でしたね」。これに対してロイは、「叔父が目にしたからこそ、ここにあるのです」と答えたという。ディズニーの野心的な計画は、チームを刺激した。小さな目標で満足していてはいけない――もっと壮大なものをめざすのだ。

国の威信をかけた宇宙開発

1961年5月25日、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディは上下両院合同会議において、人類を月へ送るという野心に満ちた目標を発表した。以下は、彼の有名な言葉である。

「10年以内に人類を月面に立たせ、無事に地球へ帰還させるという目標の実現を、アメリカが責任を持って果たすべきだと私は考えている。この時代に、人類にとってこれほど大きな意味を持ち、長期の宇宙開発においてこれほど重要で、なおかつなしとげることが難しく、費用がかかるものは、この宇宙計画以外にないだろう」

1960年にジョン・フィッツジェラルド・ケネディが43歳で第35代アメリカ大統領に就任したとき、彼は史上最年少で選出され、そしてカトリック教徒として初となる大統領だった。就任時に彼が抱いていた計画には、貧困と無知の撲滅、さらにはアメリカの国際的な威信および立場の向上があった。