物事は大きく考えよう。イーロン・マスクは起業して成功することだけに興味があったわけではない。彼には人類のための宇宙開発というビジョンがあり、人々を運ぶ、まったく新しいクリーンな手段を探し求めているのだ。彼なりのやり方で、科学と起業家精神によって世界をよりよくしたいと考えて、大きなインパクトを与え始めているのである。あなたも大きなビジョンを持てば、人々に刺激を与えられると同時に、自分自身とチームにも強い目的意識と価値観を与えられるのだ。

「想像力に欠けている」と評価されていたディズニー

ウォルト・ディズニーは若い頃に、ある新聞編集者からクビを言い渡されている。「想像力に欠けていて、いいアイデアを何ひとつ持っていない」というのが、その理由だった。アメリカで最も創造力に富んだリーダーとなる人物にしては、将来が不安になるスタートだった。

ディズニーは1921年に、カンザスシティに自身初のアニメ制作会社を設立するが、これは失敗に終わり、会社は解散を余儀なくされる。彼は家賃も払えないほど困窮し、ドッグフードを食べるほどだったという。

1923年、彼は兄と共にハリウッドへ移り住むと、アニメーションスタジオを設立した。そして、『しあわせウサギのオズワルド』というアニメで、ささやかな成功を手にする。これに続けて手がけたのが、ディズニー自身が声優を担当し、性格もディズニーを反映したミッキーマウスだった。彼が1927年に映画会社のMGMにミッキーマウスの映画配給を頼んだところ、映画のスクリーンに巨大なねずみが出てきたら女性や子どもが怖がるので、うまくいかないと言われる。だが、ミッキーマウスは大成功を収めた。

壮大なビジョンがイノベーションを生む

1933年、ディズニーは短編アニメーション映画『三匹の子ぶた』を制作する。アニメーション映画史上最も成功したこの作品はアメリカ中の映画館で、繰り返し上映された。次に何を手がけるべきかと彼がチームに尋ねると、彼らの答えは、また子ぶたが出てくる短編アニメ映画を、というものだった。確かにそれは成功の法則である。

だがディズニーにはもっと大きな野心があった。それまで誰も試みたことのない計画――長編アニメーション映画――である。『白雪姫』を長編アニメーションとしてカラー映画化するという彼の計画を知った映画業界は、これを鼻で笑った。このプロジェクトでディズニー・スタジオは終わりを迎えると誰もが言い、「ディズニーの愚行」と呼んだ。妻からも兄からも手を引くように言われたが、ディズニーは譲らなかった。