夏野剛さん、落合陽一さんと英語でディスカッション

英語の必要性をめぐる議論は、一回りも二回りもした感がある。

いわゆる「グローバル人材」の必須の能力として「英語」が取り上げられていたのは、一昔前の話。その頃、英語は確かに「キラキラ」とした、特別のものというイメージがあった。

今や英語はできて当たり前、空気のような存在になりつつある。(PIXTA=写真)

時代が変わって、今や英語はできて当たり前、空気のようなもの、というふうになってきている。英語ができるからといって別に大したことはないけれども、かといってできないのはとてもマズイ、という感覚になってきている。

先日、面白いことがあった。

ある宇宙開発関係のフォーラム。当日現場に行くまでは、使用言語が何なのか今ひとつはっきりしなかった。外国からのパネリストも複数名参加されていたけれども、聴衆のほとんどは日本人だったので、日本語でやって同時通訳で外国のパネリストに伝える形式なのかなとも思ったのである。

それが、当日MCをされた宇宙飛行士の野口聡一さんが英語で話し始められたので、「ああ、今日は英語なんだ」と思った。それで、私も英語で話すことにした。

興味深かったのが、パネリストの中にiモード開発などで知られる実業家の夏野剛さん、斬新なメディアアートの研究で有名な落合陽一さんがいたことである。

夏野さん、落合さんともに、何度もお目にかかっているし、よく存じあげているのだけれども、これまでお二人が英語で話されているのを聞いたことがなかった。

興味津々だったのだが、結論を言えば、お二人とも英語は普通にできた。夏野さんはセッション全体を仕切っていて、ボキャブラリーも豊富だった。落合さんは伝えたいことがはっきりしていて、聞いていて気持ち良かった。