オンライン上で“路上ライブ”できる場を提供したい。その事業を始めたのは、8歳で両親を失い、生きるために路上ライブを続けたという青年だった。作詞家の秋元康やDeNA創業者の南場智子が惚れ込んだというSHOWROOM社長・前田裕二の素顔に、田原総一朗が迫った――。
家がなく、通えなかった小学校
【田原】前田さんの本、興味深く読みました。なかなか壮絶な半生ですね。
【前田】物心ついたときから父はいなくて、8歳で母が亡くなりました。そこから半年ぐらい家がなく、友達の家を泊まり歩いたり、転々としていました。いまとなればいい経験ですけど。
【田原】小学校は行ってなかったの?
【前田】小学校2年生はほぼ丸々行ってないです。小2は九九を習う時期なので、僕はいまでも九九が苦手。それでものちに投資銀行に勤めるので、九九ができなくてもそこまで問題ないのかも(笑)。
【田原】でも、ずっとそうした生活は続かないでしょう?
【前田】そのあと10歳年の離れた兄貴と一緒に親戚の家に引き取られました。ただ、多感な時期だったということもあり、小4の頃にグレてしまいました。しばらくやんちゃな日々が続くのですが、次第に、とにかく「自分でお金を稼ぎたい」という欲求が強く出てきました。この環境から抜け出すには自分で稼いで食べていけるようになるしかない。そう思って、バイトを探し始めたんです。
【田原】小学生ができるバイトなんてあったんですか。
【前田】ないです。最初に近所の駄菓子屋に行って時給400円で働かせてほしいと頼んだら、「キミにその時給を払うにはその時給をまかなえるくらいにお菓子を売らなければならない。うちがそんなに売れているように見えるか」と断られました。ならば、物がもっと安定して売れていそうなコンビニならどうかと頼みに行ったら、こちらも門前払い。ほかにもいろいろな稼ぎ方を試しているうちに、1つ、自分にとってベストな方法を見つけたんです。