北上川の産物

小夜更けて、たまに拍子木の音が届くことがあり、家族に尋ねると町内の有志が見回りしているそうで、奇特な御仁もあったものだ。

その音が風向きによってはすぐ耳元で鋭く鳴ることがあり、するとなぜだか一瞬、いやな、暗鬱な気分に陥る。些細なこととて、たちまち忘れるのだが、盛岡へ行く用事ができ、そうだ、あれだ、と思いあたった。

小岩井農場を訪れたのはざっと15年ほど前であったろう。雪こそ降らねど、大気そのものが冷えきって、

「岩手火山が巨(おお)きな氷霧の套(かさね)をつけて
そのいただきを陰気な亜鉛の粉にうづめ」

などと、宮沢賢治の詩の一節が浮かんでくるような師走の中旬で、用事を済ませて盛岡へ向かい、居酒屋へ飛び込んだ。

「寄せ豆腐をレンジでちょっと温めて、それから、湯豆腐を」

盛岡出身の友人から教わったのが、寄せ豆腐で、彼が地元の小学校に通っていた頃、早朝に豆腐屋へ買物に行かされては、できたてのほかほかをおかずにし、

「あの味は忘らんね。絶品だ」

聞かされて試さずにおられようか。ここ数年、東京でも手軽に入手できるようになったが、冷蔵では興ざめだし、できたて感を再現するにはレンジだろう、と活用したところ、なかなかの出来栄えと自画自賛、こうして無理強いなんぞしてまわっていたのである。

北上川はケイ気(けいき)をながし、魚狗(かわせみ)はじっとして川の青さをにらむ、と賢治が詠じたようにきれいな水に恵まれた盛岡だからこそ、豆腐はうまいし、地酒も「あさ開」、「岩手川」、「菊の司」といずれも淡麗さわやか、すいすいと盃を運ぶ速さは「わんこそば」にも劣るまい。

いい心地で外へ出れば、凍てついたアスファルトの冷気がじわじわと攻めのぼってくる。そこへ、

「カーン」

乾いた拍子木のごとき音が背後で響いた。