松江の巨大な松茸

熱いものが喉もとを過ぎるとき、しみじみと親近感がわいてくる時期になると、つい、

「さめかねる」

思わず発してしまうことがある。

松江の松茸、と私は語呂合わせにしているのだが、官官接待などで島根県庁界隈の飲食店街がおおいに賑わっていた時分だから、たぶん80年代であったろう。

用事で松江を訪れ、いつものように何軒かハシゴをして、スタンド割烹ふうの暖簾をくぐり、引き戸を開けたとたん、松茸の香りに包みこまれた。これまでに嗅いだことのないほど濃密で、なにか発酵を想わせるほどぷんぷんと漂っている。

それもそのはず、カウンター席の中ほどに座った中年男性が巨大な松茸を掲げ、振り回していた。茸に「尺もの」という表現がふさわしいのかどうか知らないが、長さ30センチ、太さはビール瓶ほどもあった。しかも、その先端は尖って、閉じている。その後、椎茸みたいに傘の開いた巨大松茸は何回か眼にしたが、このように閉じたものは後にも先にもこの1本だけである。

男は巨大松茸をふりかざしながら、何ごとか大声で語っているのだが、訛が酷く、内容をまったく理解できない。「馬」とか、「後家」などという単語が断片的に耳に入り、ある女優の名前が登場して、

「松茸は 咥(くわ)えて舐(ねぶ)り また舐(な)める」

その女優の句だと言い張った。真偽のほどなど、どうでもいいが、いくらその芳香がすばらしいからといって松茸はぺろぺろなめるものではない。よく噛んで、その弾力と歯ごたえを味わうもので、まちがっているぞ、と睨んだつもりはないが、その客は私の肩を叩いて、席を譲り、出て行った。

「平田弁。わだすにもよぐわがらにゃあ」

女将はそう言ったように聞こえた。松江すなわち出雲弁は、東北弁に似ているが、平田はそれとも異なるようだ。