忘れられない琵琶湖の特産
近所に小川が流れていて、その川上の彼方へ運がよければ富士の影を眺めることができる。11月になると、川面をマガモのつがいが数組、仲良く滑ってゆく。孔雀の光沢にも似た「青首」を眼にするにつけ、
「琵琶湖にも飛来したにちがいない」
つい想いを馳せてしまう。わが親しき友が湖西に住んでいて、20年ばかり前になるが、当地を訪ねた際、たまさか鳥鍋に話が及び、
「博多の水炊きに優るものはあるまい」
言い張る私に、
「なんと哀れな、鴨を知らんか」
鴨は、東京で何回か食したが、特有の臭みと値の高さが鼻につき、安い鶏もも肉のほうがよほどマシよ、と決めつけていたものである。そんな私を友人が引っ張り込んだ古いたたずまいの店の三和土には、細長い段ボールが重ねてあって、開けた箱から葱が強い刺激を放ち、
「これや、これ。この葱があってこそやん」
友はすでによだれを垂らしそうである。座敷に通され、コンロに出汁を張った鍋が置かれ、それがふつふつと湯気をたてる頃合いをはかって、老爺が青葱と鴨それに椎茸、豆腐など盛って現われ、無造作に鴨、青葱を投入、その上に、どさ、どさ、と砂糖をぶちまけた。
「お爺さん、そんな、多くないかい」
「いんや、こんなもんやし」
蓋をして、待つことしばし。はぐれば、なんともいい香りがたちこめ、
「まるですき焼きみたいな」
「鴨すき、いうんや」
意外や甘すぎず、むしろ青葱の風味をひきたて、鴨肉は臭みどころか芳ばしく、絶妙な味かげんで、鴨に葱とはこのことか、初めて旨さを知った。
この時期、このあたりはよく時雨て、比良山系の豊富で良質な水を得て醸される地酒の「萩乃露」、「琵琶の長寿」、「松の花」など、やわらかな口あたりが鴨すきに調和する。