個性豊かなシェリー酒
秋分の日を過ぎたあたりから、たそがれどき己が影の長く伸びたのを眼にすると、ふと、スペインの旅を思い出すことがある。ここを放浪したのは1977年9月末であった。
アランフェスの古城で、マリアと知り合った。よくある名前だが、この国ではミドルネームに父系、母系を挿入するため、寿限無(じゅげむ)みたいにおそろしく長くなり、フルネームなどとても覚えられたものではない。
これからグラナダへ行くというので、旅は道連れ、と私は会話帖を頼りにご機嫌をとり、安い食堂やバルで注文してもらって、地元の料理を楽しんだ。いまでは珍しくもないチョリソだが、その頃日本では出くわしたことがなく、大いに気に入ってしまった。それと、シェリーだ。「ドン・ソイロ」「ホセ・ペマルティン」「デルガド・ズレータ」「エミリオ・ルスタウ」「ティオ・ペペ」「ベルトラ」。
銘柄によって、ナッツや花、樫樽(オーク)など香りがぜんぜんちがい、味、色も異なる。じつに個性的で複雑なのである。
グラナダでは私の希望でまずアルハンブラ宮殿へ。階段を囲む塀の上をさらさらと水が流れ、前を歩いていた少年が片手ですくってうまそうに飲む。それでは、と私もすくってがぶ飲みだ。マリアは怪訝な表情で見ていた。
ひとしきり見学して、もう充分、という顔でマリアが、
「ヴィスナール村へ行きましょう」
そこに何があるのか尋ねると、
「フェデリーコ・ガルシーア・ロルカに決まっているじゃない」
初めて耳にする。そこへ、差し込むような腹痛と猛烈な便意が襲ってきた。彼女はすたすたと先へ進んでいる。その背に向かって、待ってくれるよう声をかけようとしたのだが、いけない、もう、我慢の限界であった。
トイレに駆け込み、出ると、また急いで戻り、いったい何往復したことか。市内の安宿に泊まり、5日間“雪隠詰め”となった。