生命の水「グラッパ」で生き還る

これまでに何回か、死ぬかも、と思う局面があった。そのうち2回は海で泳いでいるときで、初回は欧州放浪中に立ち寄ったイタリア半島の南西端、レッジョ・ディ・カラブリアから徒歩数分にあるメッシナ海峡だった。

海岸は鏡餅のような岩の合間に拳ほどのごろた石をばらまいたよう。水は澄みわたりいかにも涼し気、向かいの島影はシチリアにちがいない。真夏なのに、なぜか人影少なく、外れでビーチパラソルにテーブルひとつ囲んで家族らしき一団が遊んでいるのみ。

だれひとりいないイオニア海を前に独り占めしない手はあるまい。素裸でも構わなかったが、さすがに幼い女の子の姿も眼にしたので、パンツだけは身に着けて、飛び込んだ。

すいすいと沖へ出て、大の字に寝そべれば、青空に浮かぶ雲も心地よく、飛ぶように流れてゆく。が、どうもそれが速すぎるような、と気づいて岸をみれば、なんと、50メートル近く流されているではないか。

「いかん」

すぐさま平泳ぎで戻ろうとしたが、ぜんぜん、前へ進まない。波の下に谷川の急流にもひとしいほどの海流があって邪魔をしている。どんどん流される。クロールに切り替え、全力ふりしぼって海岸をめざした。少し前進しては流され、また少し進んでは流される。

「このまま死ぬのか、なんとみっともない」

いったいどのくらい格闘したか、もう、へとへとになって浜へたどりつき、ずり落ちたパンツもそのままにうつ伏せになっていたら、アル・パチーノみたいな兄ちゃんがにっこりと親指を立て、喘ぐ私の肩をとんとんと叩いて、テーブルの方を指した。

ふらふらと近寄れば、「ドン」の雰囲気をもつ親父さんが両手を拡げて歓迎してくれ、イタリア語でまくしたて、まあ1杯、と勧められるままグラスに注がれたものをあおった。

「クーッ、生き還った」

グラッパであった。まさに生命の水だ。