斜陽に立てず

青森での仕事が存外はやばやと片づいたのをいいことに、五所川原まで足をのばし、津軽鉄道列車に飛び乗れば、夏とはいえ涼風舞い来たって車内に吊られた数多(あまた)の風鈴を鳴らし、いずれも秀逸な句の短冊を揺らした。

金木駅で下車して、しばし歩けば眼前にどん、と「斜陽館」の構え。

山川草木轉荒涼(さんせんそうもくうたたこうりょう)
十里風腥新戦場(じゅうりかぜなまぐさししんせんじょう)

征馬不前人不語(せいばすすまずひとかたらず)
金州城外立斜陽(きんしゅうじょうがいしゃようにたつ)

太宰が絶賛したという乃木希典の七言絶句をお経がわりに唱えつつ、拝観する。

学生の頃、私は三鷹に下宿していて、南へ五、六分も歩けば禅林寺で、桜桃忌ならずとも行けば必ず献花供物(くもつ)で賑わってい たが、生前の太宰が同じ墓所にと所望した、はす向かいにある森林太郎の墓は何もなく、いつも、仏飯器にアツアツのごはんを盛ってお供えすれば白米至上主義の鴎外(内田魯庵説)さぞや喜ぶであろうに、と後悔したものであった。

その私の下宿にて、昨日出た復刻の新刊だぞ、と友人が、檀一雄「小説太宰治」審美社の1975年12月9日発行新装初版を見せびらかした。同書に、太宰が乃木大将の「斜陽ニ立ツ」をそらんじて、こう断じたとある。

「あれはいい詩だ。現代の誰の詩も及ばんねえ」

太宰には謎が多く、それが魅力のひとつなのでもあろう、などと愚考めぐらせ二階から一階へ下りようとして、ズキン、と左足首に きたおぞましい痛み。後頭部に直接響くこの疼痛は、あやまたず痛風発作の前兆である。

「しまった」

うかつにも私はコルヒチンなど医薬品専用ポーチを忘れて旅に出ていたのだ。

その夜は青森に連泊して、ねぶた祭を眺めつつ、また前夜同様、ホヤを肴に「田酒(でんしゅ)」だの「明ケ烏(あけがらす)」「岩木正宗」あたりを愉しむ皮算用であったが、もはやそれどころではない。すべてご破算にして、飛行機の予約も変更、一目散に撤収したのであった。残念無念。