どこへ行っても「住めば都」
仙台支店は東北6県を営業テリトリーとしていた。私は1994年4月に次長として単身赴任した。社内の口さがない連中からは、趣味のゴルフに絡めて「香藤はロストボール」とまで揶揄される始末だ。しかし、何事もポジティブに考える私にとって、どこへ行っても住めば都。仙台に着いた日に駅構内で食べたトンカツ定食のお米がことのほか美味しく救われた気がした。
着任後、最初に感じたのが「どうしてこんなに人数が多いのか?」ということだった。確か60数人の大所帯だったと思う。もちろん、支店のリテール業務が多種多様であることは承知している。だが、シンガポール駐在時代の少数精鋭、トレーディング部門での売買から債権回収まで1人で責任を持つ働き方からすれば、かなりの違和感を持たざるを得なかったのは事実だ。どう考えても、その3分の1でいい。
そこで、着任のあいさつで私は「第一印象を率直に申し上げると、この支店は明らかに肥大化している。業務の効率化を図っていけば、ゆくゆくは20人で足りる」と大見得を切った。その瞬間、支店内には激震が走った。「本社から来たばかりで、実情もわからないくせに勝手なことをいうな!」というわけだが、私があえて苦言を呈したのには理由があった。
というのは、ガソリンなど石油製品の輸入を石油会社だけに制限してきた特定石油製品輸入暫定措置法(特石法)が、2年後の96年3月に廃止されることが決まっていたからにほかならない。それを見越して、すでにガソリン価格の下がりはじめており、サービスステーション(SS)は厳しい生き残りの“戦国時代”に突入する。当然、元売り会社も収益が圧迫されることから、いち早くコスト構造を改善していく必要があったのだ。