6代目立川談笑さん。古典落語を「ブラックに」改作して演じるのを得意としている。

先日、熊本の山鹿市にある劇場、八千代座で、立川談笑師匠とのイベントがあった。談笑さんが落語をされて、私が脳と笑いの関係についてお話しする。不思議なおもしろさに満ちた会となった。

国の重要文化財に指定されている八千代座のこけら落としは、明治44年。座敷や、天井の広告など、往事の姿を今に伝えるその存在には、お金には換算できない価値がある。一時期は老朽化して崩落の危機もあったが、地元の熱意で修復がなったという。

その歴史ある八千代座で、談笑さんと、「落語」の価値について語り合う時間は、まさに至福であった。

落語には、さまざまな登場人物が出てくる。その多くが、どちらかといえば出来が悪く、人生がうまくいっていない。そのような人たちに対する温かい視線が、落語の真骨頂でもある。

たとえば、落語の主要な登場人物である「与太郎」。ドジで考えが回らず、何をやっても失敗ばかりしている。当然のように、仕事はうまくいかず、家でぶらぶらしている。

そんな与太郎を、落語は見捨てない。親戚の人がよってたかって面倒を見てあげたり、仕事を紹介したり、うまいものを食べさせてあげる。

グローバル化した市場経済の中で、与太郎ははたして生きていけるのであろうか、みたいなことは、落語の世界では問題にならない。むしろ、何をやってもうまくできないその人柄を、周囲の人が愛している。だからこそ、与太郎は、落語界の永遠の「主演男優賞」である。

そんな話を談笑さんとしているうちに、落語の、もう一つの効用に気づかされた。

談笑師匠のお師匠さんは、あの、立川談志さん。生前、毒舌で知られた談志さんは、さまざまな社会事象に、独自の視点で切り込んでいった。