英語の本を原書で何冊も読むと、最初の苦しさがとれて、英語への抵抗感も減っていく。(写真=PIXTA)

私は、普通の日本人と同じように、中学に入ってから英語を習い始めた。入試の英語は、自分で言うのも何だがトップクラスで、苦労しなかった。試験の類いはずいぶん長い間受けていないが、学生時代、当時受けられた英検1級や、国連英検特A級といった資格は、すべてとった。

英語は今でも好きで、ブラッシュアップを心がけている。英語での論文執筆や学会発表はもちろんのこと、英語で一般書を出すという目標に向けて、日々精進している。

さて、そんな私の体験から、また、脳科学の視点から、日本人の英語習得に欠かせないある一つの方法について書きたいと思う。それはつまり、「無茶ぶり」である。

「そんなことはできない」「絶対に無理」ということを、自分に課す。ハードルを乗り越えることで、脳がグンと成長する。そんな無茶ぶりを通して、私は、英語力の階段を上ってきたように思う。

私は、もともと、科目としての英語は好きであった。そんな私の英語力が、「質的」に向上するきっかけになったのは、節目における無茶ぶりであったと、断言できる。

高校1年のとき、英語研修でカナダのバンクーバーに1カ月ホームステイした。初日、ホストファミリーの家に着くと、10歳と8歳の男の子が飛び出してきて、いきなり「人生ゲーム」をやらされた。

この無茶ぶりには参った。何しろ、ルーレットを回して、「大学に行くか」「結婚するか」「転職するか」といった複雑なことを会話で進めていかなくてはならぬ。今思い出しても、冷や汗が出る。

高校3年間の「無茶ぶり」は、英語の本を原書で読むことだった。最初に読んだのは、『赤毛のアン』。シリーズを全部読破した。その勢いで、トールキンの『指輪物語』や、『風と共に去りぬ』、さらにはフリードマンの『選択の自由』といった経済書も読んだ。

原書を読み始めた最初のうちは、頭の中で、歯車が潤滑油なしで無理に回っているような、そんな苦しい感覚があった。それが、2冊、3冊と読むうちに慣れてきて、いつの間にか平気になった。高校3年間で、30冊くらいは原書を読んだのではないか。