漱石はロンドン留学中に英文学を読み漁った。その経験が翻って、日本語の感性を磨いたのだろう。(写真=AFLO)

人生についての「達人のアドバイス」には、深い含意があるように思う。

ある高名な作家の方が、「小説家になるためにはどうすればいいですか」と尋ねられて、こう答えたそうである。

「何か一つ、どれでもいいから、外国語をやりなさい」

これは、まさに、実践的で、深いアドバイスだと言えるだろう。何か、外国語に通じることは、日本語で小説を書くうえでは遠回りのようだが、そうでもないようである。

おそらく、ほかの言語を経由することで、日本語という言葉がより立体的に、陰影を持って感じられるようになるのだろう。実際ほかの言語を徹底的にやって、日本語の小説家として大成した人は多い。

明治の文豪、夏目漱石は、ロンドンで、「夏目狂せり」という噂が立つほど、根を詰めて英文学を読んだ。村上春樹さんは、アメリカ文学に通じて、たくさんの翻訳を手がけている。最初の作品は、まず英語で書き始めて、それから日本語にしたのだという。

澁澤龍彦、太宰治、それに大江健三郎さんなど、フランス文学を修めた小説の書き手も多い。一つ外国語をやることで、実際、小説家としての「思考の筋肉」がつくようだ。

街の本屋さんにはビジネス書があふれ、インターネット上にも、人生はこうしたほうがいい、ああしたほうがいいという情報がたくさんある中で、かえって「達人のアドバイス」には巡りあうのが難しくなっているのが現代である。

「達人のアドバイス」には、元手がかかっている。相手に対する、注意深い観察がある。また、原因と結果が、簡単ではない形で結びついている。だから、少しゆっくり考えないと、その含意に気づかないことも多い。